2012年9月13日木曜日

ちょっと残念な橋下君


橋下徹市長のツイッターを読んでいたら、こんなことを書いていた。

「日本維新の会は維新八策で、それをオープンの場で協議することで、日本維新の会のメンバーの行動を縛ります。これが政治家集団のマネジメント」

先日の国会議員との公開討論会のことを言っているのだが、維新の会に合流した国会議員たちは、究極のオープンな場(つまり選挙)で自民党や民主党の政策を叫んで当選した人たち。シバリなんて効くわけがないことを、自ら証明している。

企業・団体献金にしても、維新八策の政治改革の項目で「企業・団体献金の禁止」を掲げながら、「カネを手立てする現実的な必要性がある。今の段階で全部禁止してしまうのか、ちょっと議論させてください」と報道陣に語ったとか。

新党をつくったばかりで政党助成金がもらえないから、ということのようだけど、そもそも政党助成金って選挙資金を目的にしたものだっけ? 選挙もはじまってないうちから党の綱領に反することをするって、どんな道理なんだろう。「将来的には禁止します」というなら、いままでの政党と何が違うのか。「決定できる統治機構」って、「いつかやる、ということを今決める」という意味だったのか。と嫌みのひとつも言いたくなる。

2012年7月20日金曜日

野田政権に解散のチャンス

ついに橋下君の女性スキャンダルが明らかになった。
週刊文春の記事は、いままでのどんな批判記事より、橋下君にダメージを与えたはずだ。
テレビのレポーターが「いまの橋下市長は何点ですか」とふざけた質問をしたのに、
「家庭内のことですから」
と真顔で答えざるをえなかった。

いままで「新地のおねえちゃん」とか、「たたけばほこりが出る」とか、政治家になる前の行状について明け透けに話すことはあった。
ふつうの政治家からすれば、こんな発言でも眉をひそめられるが、橋下君の場合は「それくらいのこと、当たり前でしょ」と開き直って、かえって親近感を抱かせていた。

でも、下半身の話題はいただけない。
今後、どんなに勇ましい発言をしても、
「スッチーのコスプレ、してたんでしょ」
「パンツ、かぶりたかったんですよね」
「生が好きだったから、子どもがたくさんできたんですか」
という目で見られてしまう。
これは致命的だ。
どうするんだろ。

政治家の影響力は、理屈ではない。
同じ政策でも、「この人に言われても従わないが、この人に言われたら従う」
というような空気感が左右する。

橋下君はその空気感をつかむのがとてもうまかった。
「ふわっとした民意」をつかむことに神経を研ぎ澄まし、
時宜を得た発言をすることで有権者の喝采を浴び、その存在感を高めてきた。
発言に求心力があるからこそ、既存政党がその言動に右往左往し、橋下君の政治力を高めた。
これが「橋下バブル」の構造だ。

野田政権はここぞとばかり解散・総選挙に打って出るかもしれない。
労組も反転攻勢の絶好の機会だ。
悪のりしすぎると「橋下さんがかわいそう」という声も大きくなるかもしれないが、
いまの橋下君は攻めに出にくい。
いや、攻めの発言をしてみても、いままで通りの取り上げ方はされにくい。
大手新聞はさほど変わらないかもしれないが、週刊誌や夕刊紙は容赦しないだろう。

ホント、どうするんだろう。
クリントン大統領みたいに家族が出てきて仲の良いところをアピールするのか。
それとも、路上キスシーンを週刊誌に撮られた原発担当大臣にでも知恵を借りるのか。
いっそ丸坊主になるのが、一番わかりやすいかもしれない。
「おかんに叱られまして」とかいって。

2012年6月23日土曜日

橋下君の総選挙戦略を予想する

橋下君が大飯原発再稼働をめぐって反対姿勢をトーンダウンさせたのは、総選挙が遠のいたと判断したからだ、と前回のブログ「橋下君のトーンダウンの真意」に書いた。
22日付の朝日新聞(大阪本社版)を読むと、東京都副知事の猪瀬直樹さんも同じ見立てのようだ。
「要するに、この夏は決戦のときじゃないと、橋下氏は見切ったんだよ」と発言している。

でも、もっと深いところに真意があるのではないか、と思いついたので書く。
それは小沢一郎氏との関係だ。

週刊文春の先週号に、「小沢氏の妻の手紙」が掲載された。小沢氏がとんでもない人物で、東日本大震災のときも原発事故がこわくて地元の岩手に行かなかった、とこき下ろしている。
大手マスコミが追いかけていないので影響はわからないが、かなり痛いネタだろう。
こういう記事が出ること自体、小沢氏の求心力の低下をうかがわせる。

で、橋下君。小沢氏との連携に見切りをつけたのではないか。
というか、野田政権と小沢氏を両天秤にかけ、さらに自民党も入れた「三すくみ」の状況を想定して、等距離外交に方針を切り替えたような気がする。

大阪維新の会が衆院選に向けて準備を進めているのは間違いない。
そして、一気に政権に就こうとしていることも間違いないだろう。みんなの党のように野党でボチボチやっていたら、求心力は持たない。
であるならば、少数であってもキャスティングボートを握ることが必要だ。

「民主党政権を倒す」といっていたころの橋下君は、小沢氏と組んで政権を奪おうと勢い込んでいたはずだ。
だが、総選挙は遠のき、小沢氏の勢いにもかげりが見えてきた。
ならば野田政権とも関係を保ちながら、小沢グループや自民党ともつかず離れずの関係を演じる。
そして、勝てると判断できた時点でその勢力と組んで政権を獲る。
それが総選挙までの戦略だと思い定めたのではないか。

民主党が政権交代を成し遂げた2009年夏の衆院選挙のときも、橋下君は自民党と民主党を両天秤にかけて、なかなか支持政党を明らかにしなかった。
そうしているうちに両党から秋波をおくられるようになり、橋下君は大いに存在価値を高めたのだ。
宮崎県の東国原知事が自民党から出馬を打診され、「総裁選候補にしてくれたら」と強気に出て世論の支持を失ったのとは好対照だった。


今回も同じ戦略に出たと考えると、「トーンダウン」のつじつまが合うのである。



2012年6月14日木曜日

橋下君のトーンダウンの真意

大阪市の橋下徹市長がこれまでの発言をトーンダウンさせている。
大飯原発の再稼働にあれほど反対していたのに、「事実上、容認です」と受け入れたり、
「民主党政権を倒す」と息巻いていたのに、大阪都構想の法案が通れば「大義がない」と矛を収める気配を見せる。
いったい、どうしたのか。

今週発売の週刊朝日の記事を読んで、「これか」と思うところがあった。

大阪維新の会の浅田均・政調会長を取り上げた記事のなかで、こんなくだりがあった。
一部メディアが「大阪維新の会の維新政治塾が、橋下氏が塾生と全国遊説する方針を固めた」と書いた。すると橋下氏はこう怒りをぶちまけたという。
「国会議員が1人もいないのに全国遊説なんて、勘違いも甚だしい。参加する気はないと浅田さんには伝えた。ちゃんちゃらおかしいですよ」

この「勘違い」という言葉は、橋下君がとても気をつけている感覚だ。
「将来の首相候補」とかいわれても、橋下君はいつも「自身の国政進出はない」という姿勢を崩さない。
「国政を狙う」と言ったとたんに、「なんだ、橋下も欲深い政治家だったのか」と有権者がドン引きすることを、なにより恐れているからだ。

橋下君の目標が、国会議員になることでも総務大臣になることでもなく、首相になることだというのは間違いない。
でも、そのためには総選挙で政界再編を起こして、一気に首相の座を奪うしかない。
いまはその時期ではないと見極めたのだろう。
理由は、衆院解散が遠のいたと判断したからだと思う。

以前のブログ「脱原発の真意」(http://fujiiitsuki0707.blogspot.jp/2012/04/blog-post_03.html)に書いたように、橋下君は決して「反原発」論者ではない。政権が再稼働することを決めたあとも、しつこく「反対!反対!」とシュプレヒコールを繰り返す気はなかったはずだ。

ではなぜ再稼働に反対したかといえば、それが総選挙の争点としてうってつけだったからである。
彼がこだわっていたのは「原発に賛成か反対か」ではなかった。
野田政権が大飯原発の安全性を確認した〝手続き〟が「適切か不適切か」という点だった。
それは「為政者として適切か不適切か」という最も好ましい争点になり得た。
「橋下か、野田か」
これほど美しい争点はない。

野田政権が再稼働を決断できなかったり、決断した直後に総選挙になれば、この争点を掲げて戦うことができた。
ところが、野田首相は決断したものの、総選挙は遠のいた。

もはや話題は消費税と社会保障だ。それなのに、いつまでも遠吠えのように「反対、反対」と言い続けることは、社民党や共産党なら許されるが、首相になろうという橋下君にはできなかったのだ。



2012年5月19日土曜日

橋下君が迫られる踏み絵

橋下徹市長が平和と人権をテーマにした二つの博物館の補助金削減を打ち出して、話題になっている。
近現代史を「両論併記」で学ぶ施設を、新たに作ろうとしているそうだ。
「新しい歴史教科書をつくる会」にも助言を受けるという。

朝日新聞の見出しに「博物館 迫られた踏み絵」とあった。
博物館を補助金で存続させたいなら、両論併記の方針を受け入れろ、という趣旨だ。
でも、この記事を読んで、踏み絵を迫られているのは橋下君だと思った。

君が代条例もそうだけど、橋下君の右傾化が顕著になっているのは総選挙を意識しているからだ。橋下君の思想信条がそうしているのではない。票のためだ。

大阪維新の会が勢力を伸ばすには、保守層の支持が不可欠になる。君が代条例にしても、博物館の自虐史観批判にしても、もともとは自民党が主張してきたことだ。その自民党の支持層をひっくり返さないことには、維新の会は勝てない。
そのためには、保守層の求める政策を自民党よりもわかりやすく推し進める必要がある。維新の会が自民党より保守的にならなければ、支持を得られないのだ。
それが君が代条例であり、人権博物館の見直しだ。

記事にもあったけど、橋下君は大阪府知事時代の2009年にも、大阪人権博物館の展示内容に注文をつけている。
でも、当時の記事をみると、橋下君は「展示がわかりにくい」と注文をつけているが、「教育現場のニーズにこたえるような博物館にならないと、公金を投入する意味はない」と言い、「人権教育は絶対に必要」と発言している。
記事を読む限り、歴史認識の問題については何も語っていない。
当時は知事に当選して2年目。自民党と公明党からしっかり支持を得ていた。ことさら歴史認識を持ち出す必要はなかった。思想信条としても「人権教育は絶対に必要」だった。

小泉純一郎元首相も2001年の自民党総裁選で「首相になったら靖国神社を参拝する」と公言し、慎重姿勢を示していた橋本龍太郎を抑えて新総裁になった。
首相になってからは公約通り参拝した。中国は猛反発したけれど、日本遺族会をはじめとして保守層の支持を得ることに成功した。総裁選に勝つために、靖国参拝が必要だったのだ。

橋下君はこれからも、保守層の支持をとりつけるために、「踏み絵」を迫られることになると思う。







2012年4月29日日曜日

「可及的速やか」の読み解き方

大阪市の橋下徹市長が、関西電力の株主総会に向けて株主提案をした。
その中に「可及的速やかに全原発を廃止」とある。
この真意について、考えた。

文字どおり読めば、いま稼働中の原発の全廃を求めている。
でも「可及的」だ。「できるだけ早く」「なるべく早く」というエクスキューズがついている。
ここがポイントだ。

誰だって、原発に頼らなくて電力を安定供給できたらいいな、と思ってる。
経済界にしても、電気料金の値上げさえなければ原発に頼る必要性はない。
メガソーラーや地熱発電で安価な電力が安定供給できれば、みんなハッピー。
つまり、「全原発の廃止」は、条件さえ整えば誰もが反対しない方針なのだ。

唯一、それでも反対があるとすれば、自民党の石破茂・前政調会長や読売新聞の社説のような「原発は潜在的な核抑止力になる」と考えている人たち。
実はこれが今後、「脱原発」の最大の論点になるような気がするけど、それはまだ先の話。

で、橋下君の「可及的速やかに」の読み解き方。
彼はきっと、「こうした条件が整えば、すぐにでも全廃します」という意味で使っている。
①原発がなくても、電力が安定供給できる体制づくり。
②原発がなくても、経済界が受け入れられる電気料金で供給できる体制づくり。
こんな感じ。

だけど、そんな素晴らしい電力供給体制が簡単にできたら苦労しない。
だから「できるだけ早く」という一文を入れている。
橋下君は「可及的速やか」の時期について記者から問われ、「言わないようにしている。言ったらいろんな意見が出てしまう」と認めている。
だってそうだ。
時期を切れるものではないから。

いわゆる「反原発」という意味で「全廃」という言葉をつかっているなら、「10年後に全廃」とか言えるはずだ。
でも、今回はそうしない。
なぜか。
彼は反原発主義者ではないから。
原発を争点にして選挙を戦うのが狙いだから。
選挙で勝っても、すぐには全廃できない。
だって、そんなにすぐに条件が整うわけがないから。

橋下君が首相になったら、
「全原発を廃止するために全力を挙げます。メガソーラーや地熱発電の開発を最優先に取り組みます。それまでは節電にもぜひ協力してください」
こんな感じになる。
間違っても、「すぐに廃炉に向けた手続きに入ります」とは言わない。
それなら「可及的速やかに」の一文は要らない。

今回の株主提案は、同じく関西電力の株主である神戸市と京都市も共同提案した。
ただ、「可及的速やか」の文言については「現実的ではない」(神戸市長)として、神戸市と京都市は「原発に依存しない持続可能な電力供給体制の早期構築」と言い換えた。
これについて橋下君は、「いろいろな考え方があると思う」と容認したという。

だって、同じことを言ってるんだもの。


2012年4月26日木曜日

禿げ上がった裁判官と橋下政治

小沢一郎の無罪判決をテレビで見て思った。
この禿げ上がった裁判官(大善文男さん)の判断ひとつで、日本政治が変わるかも知れないというのは、とてつもない権力行使だ。無罪とされたことで小沢氏復権への道筋が描かれ、消費増税や政界再編に大きな影響を及ぼすことになるのだから。

選挙で選ばれたわけでもない公務員がこんな権限を持っていいのかと疑問に思い、ウィキペディアで調べてみた。

日本の裁判官は内閣が任命することになっている。憲法80条にそう定めている。
内閣は国会の信任によって存在するのだから、ここで民意がはたらいていることになる。
なるほど。

ただ、どんな訴訟指揮をするかは、任命した時点ではわからない。
だから各地の裁判所で判断が右にいったり左にいったりする。
今回の大善さんも自民党支持者なのか民主党支持者なのか共産党支持者なのかは、わからない。
でも、そうしたことをひっくるめて、任命した裁判官に判断をゆだねているということなんだろう。

「ゆだねる」という言葉を書いていて、「お上」と橋下政治の関係に考えを巡らせた。

橋下君が錦の御旗にする「民意」とは、「自分たちで決めたい」という有権者の意志の表れだ。
これに対して、今回の裁判官のような「お上」(権力)というのは「決めたから、従いなさい」という立場。下々はその判断に従うことが求められる。

内田樹さんの「下流志向」(講談社文庫)に、「自己決定フェティシズム」という言葉が出てくる。
最近の若い人たちには、「自分のことは自分で決める」という自己決定権に対する固執がある。
自己決定したことであれば、それが結果的に自分に不利益をもたらす決定であっても構わない。
その典型例がニートだと指摘している。

そうした自己決定権の対極にあるのが「お上」だ。
「お上が決めたことだから従え」という権力行使には、自己決定の余地はない。
民主党の元代表といえども、判決に従うしかない。

そしていま、「お上」の信頼が揺らいでいる。
政権の支持率低迷はずーっと続いているし、腐敗政治の浄化を期待されていた地検特捜部の威信も落ちた。お上じゃないけど、大手マスコミだって批判の対象だ。
権力や権威への嫌悪感。

そこへ登場したのが橋下君だった。
橋下君の攻撃対象は、公務員組織であり、教育委員会であり、中央政府。「お上」そのもの。
そこへ容赦ない批判を浴びせ、その権力を奪うべく政治闘争を仕掛ける。

橋下君はいつも、判断の正当性の根拠を「選挙」という民意で説明しようとする。
選挙で選ばれた僕が決断する。反対なら次の選挙で落とせばいい。
「選ぶ」という有権者の自己決定の結果を、ことのほか重視してみせる。

「俺たちの選んだ橋下君が、お上をぶっ壊してくれる」
そのカタルシスが、自己決定したい人たちを橋下支持に向かわせる。

そんな仮説を立ててみた。



2012年4月22日日曜日

たまには違う話題を(最高裁の判決について)

橋下君とはまったく関係ないけど、最高裁判所が興味深い判決を出したので書く。
概要はこんな感じだ。

市長が外郭団体に違法な公金支出をした。
住民が裁判に訴え、裁判所は「違法に支出した公金を市に返すよう、外郭団体に請求せよ」と判決で命じた。つまり住民勝訴。
しかし、市議会が「返還させる必要はない」と言い出し、請求しないことを決めた(請求権の放棄)。
市長も「そうですよね」と言って裁判所の命令を無視し、違法な支出を是正しなかった。
これっていいの?

いいんです。
これが今回の最高裁判所の判断だった。
(http://www.asahi.com/national/update/0420/TKY201204200618.html)
手続きは違法だけど、悪気があったわけではないし、不法な利益を得たわけでもない。
議会による請求権の放棄は法律で禁じられていないし、議会がムチャな判断をするのは容認できないけど、今回の議会の判断はそうでもない。というのが理由だ。
こうして、住民勝訴の判決は「帳消し」となった。

読売新聞と日経新聞の見出しは「違法支出 議会の請求放棄に制約 最高裁初判断」だった。
たしかに、判決は「議会の裁量権の乱用にあたるときは、請求権放棄の議決は違法になる」という判断を最高裁として初めて示した。議会が請求権を放棄してもいいけど、ムチャな判断の場合は違法になりますよ。読売と日経はこの点を強調した。
やっていいけど、注意してね、ということだ。

でも、そもそも、裁判所が「違法な公金支出」といったん判断したものを、議会が「返す必要はない」と言ったからといって、別の裁判所が「そうだよね」と追認してしまっていいのか。
朝日新聞の見出しは「『帳消し』適法 最高裁初判断」だった。
適法としたことが一番のニュースととらえたのだろう。
こんなこと、やっていいの? というニュアンス。

こんなとき、橋下君の感想を記者会見で聞いてみたい。
「住民の代表である議会の判断が尊重されるのは、当然だと思いますね」とか言うのかな。
じゃあ、司法の役割はどうなるんだろう。
「最高裁が判断したのだから、従うべきなんじゃないですかね」
それはそうだけどさ。
「議会も尊重してはいけない、最高裁の判断も気にくわない。そんなことだから、マスコミはご都合主義だと言われるんですよ」
そ、そうかな。


2012年4月18日水曜日

ワンフレーズは悪いことか

東京都の石原慎太郎知事が「東京都は尖閣諸島を買います」と発言して話題になっている。
民主党の閣僚からは「一時の人気取りだ」との批判があるようだけど、一言で人気がとれるなら、それはすごいことじゃないのか。
どんなに野田首相が声をからしたって、「一時の人気」もでないのだから。

橋下君が国政の場でデビューしたのは、大阪府知事時代の「ぼったくりバー」発言だった。
国の公共事業に対して都道府県が負担する「国直轄事業負担金」の請求書があまりにもいい加減で、「北新地でもこんな請求書はない」と批判した。事業名と総額の金額だけで、具体的な明細が一切なかったからだ。
この問題、まじめに文書にして批判しても難しすぎて話題にならなかっただろう。
それが、知事が公の場で「ぼったくりバー」なんて言葉を使ったものだから、テレビから新聞まで大きく取り上げ、その後の政治課題になった。

ワンフレーズポリティクスは、いつも批判の対象になる。
小泉首相がその筆頭格だ。「自民党をぶっ壊す」と勇ましかった。
でも、一言で世間の関心を集めることって、そんなに悪いことか。

ワンフレーズが問題になるのは、その言葉を引き金に政治がよからぬ方向に動いてしまうと思われているからだろう。
でも、見向きもされないワンフレーズの方が圧倒的に多い。
「失言」というワンフレーズだってある。
民主党の仙石由人政調会長代行が、大飯原発を再稼働しないと「集団自殺するようなもの」と発言して話題になったが、逆効果のワンフレーズだろう。

ワンフレーズが政治を動かすのは、その言葉が有権者の関心事を的確に突いたときだ。
石原知事の発言だって、朝日新聞の社説は「無責任」と批判してるけど、官房長官は国が購入する可能性に言及せざるを得なくなった。
言葉で政治を動かす。それは政治家の仕事そのものだと思う。



2012年4月12日木曜日

北朝鮮ミサイルと橋下政治の共通点

北朝鮮のミサイル発射予告のニュースをみながら、大阪市の橋下徹市長の政治手法について考えた。

なんで北朝鮮がミサイル発射をするのかといえば、今後の外交交渉に有利に働くと考えているからだろう。決して、戦争をおっぱじめようとしているわけではない。

なんで今後の外交交渉に有利になるのか。「あんまり僕をいじめると、本物のミサイル、撃っちゃうよ」という脅しになるからだろう。「撃ってほしくなければ、言うこと聞いてよ」と。

なんでそういう脅しが効くのかといえば、米国が北朝鮮と戦争になることを望んでいないからだ。
「北朝鮮、許すまじ!」と本気で考えているなら、やれることは軍事行動しかない。
でも、そうなったら米軍の死傷者は出るわ、国際関係はめちゃくちゃになるわ、大変なコストがかかる。
それでいて、イラクみたいな石油資源があるわけでもない。
ミサイルを撃たれて困るのは米国だ。

こうして考えると、北朝鮮ってやりたい放題。
食糧支援は受けられなくなるかもしれないけど、そうしたら脅しのレベルをさらに上げて、核実験でもやればいい。
国際的にいくら非難されても、失うものはほとんどない。
金正恩体制が維持できれば、あとはどうでもいい。

で、橋下君。
きっと、こんな北朝鮮の政治手法を「すごい」と思って見ているに違いない。

産経新聞によると、橋下君は12日のぶら下がりで、北朝鮮を非難する一方で、日本の外交・防衛体制について、こう語ったという。

他国への信頼だけで平和は維持できない。自分たちで備えをしていくことが絶対に必要。
武力行使というわけではないが、適度な力と対話のバランスの中で平和が維持されていくことを、
僕らの世代はもう一度教育してもらわないといけない。

これって、今の北朝鮮のこと?

「他国への信頼だけで平和は維持できない」から、北朝鮮はミサイルや核の開発をしている。
「適度な力と対話のバランスの中で平和が維持されていくこと」を知っているから、北朝鮮は挑発と協議を繰り返している。
橋下君は、そういうことを「もう一度教育してもらわないといけない」と日本国民に訴えているのだ。

北朝鮮は資源もなく、軍事力も弱いのに、ミサイルや核を持ったことで米国や中国と対等に外交交渉をしている。
政治力としてはすごい。
橋下君の政治手法の基本が、こうした「脅しと対話」にあるのは間違いない。

たとえば、橋下君の「大阪維新の会」。
自民党や民主党などの既成政党のような組織力や資金力はない。あくまでも地域政党だ。
関西では人気があるけれど、全国でどれほど票を集めるかわからない。
いま総選挙になったとして、過半数を取れるだけの力はなさそうだ。

でも、野田政権は橋下君を無視できない。
だって橋下君の政策に反対したら、維新の会は民主党の議員がいる選挙区に「刺客」を立ててくるかもしれない。
大阪の選挙区には官房長官をはじめ政府と党の要職に就いている議員が多い。
そうした人たちの選挙区に、東国原氏などの有力候補を立てられたらどうなるか。
全国で過半数を獲れなくても、政権与党にとって十分な「脅し」になる。

だからこそ、大飯原発の再稼働にあたって、原発から100キロも離れた大阪市が「我々と安全協定を締結せよ」と要求しても、野田政権はまったく無視というわけにはいかない。
大阪市と大阪府を統合する「大阪都構想」に各党が取り組み始めたのも、総選挙で自分たちの議員を落選させたくないからだ。

刺客というミサイル、維新の会と戦争をしたくない民主党政権、独裁者みたいな橋下徹。

橋下君に、
「金正恩の政治手法について、どう思いますか」
と質問してみたい。

「すごいと思いますね」
なんて、素直に言うわけないか。

2012年4月5日木曜日

橋下君、ひどくないか

大阪市の橋下徹市長が、全面禁煙の市営地下鉄の構内でタバコを吸った助役を懲戒免職にするよう検討を指示したという。タバコの煙で火災報知機が作動し、地下鉄4本に最大1分の遅れが出た。

タバコ1本で免職かよ、と思ったら、橋下君は「免職は法的に問題があるかもしれないが、司法決着すればいい」と言ったという。
大阪市営地下鉄では2月に清掃作業員が梅田駅の倉庫でタバコを吸っていて火災が起き、大騒ぎになったばかりだ。
服務規律の厳格化をはかる時期に起きた今回の問題に、「許し難い」と怒り心頭のようだ。

でもこれ、ひどくないか。

「法的に問題があるかもしれない」ということは、違法性があるかもしれないということを認識しているということだ。
これって地方行政のトップによる「権力の濫用」じゃないのか。

橋下君は、いつものように危険球ぎりぎりの球を投げて、労働組合を威迫することを狙っているのかもしれない。
結局は、免職ではなく停職や減給に落ち着くのかもしれない。
地方公務員の懲戒処分の「ユルさ」をあぶり出すための観測気球という見方もできなくもない。

でも、そうした結果オーライで済ましてはいけない言葉だと思う。
野田首相が「法的に問題があるかもしれないが、原発は再稼働させていただく」と言ったらどうか。
原発はだめだけど、職員1人のクビぐらいならいいという問題か。

違法かどうかを最終的に判断するのは、言うまでもなく司法の役割だ。
橋下君はきっと、こんな弁解を考えているのだろう。

「もちろん、僕は違法とは思っていません。懲戒免職は当然だと思ってます。でも、相手側が違法と言ってくるかもしれない。そうなったら司法決着したらいい。そういう趣旨で言っただけです」

でも、朝日新聞を除く新聞各紙によれば、きょうの発言は「法的に問題があるかもしれないが」と明確に言っている。「問題があると指摘されるかもしれないが」ではない。

権力者が感情のおもむくままに公権力の行使をしたら、それは法治国家ではない。
あくまでも法律に従わなければならない。
その法律を決めるのは、国民が選んだ国会議員たちだ。
どんなに職員の行為が許し難くても、その一線は越えてはならない。
納得できないなら、法律を改正することで対処する。
それが、橋下君が日ごろ繰り返し強調している「民主主義」のルールじゃないか。

厳しい言い方をすれば、今回の橋下君の発言は、民主主義に対する挑発行為と映る。

2012年4月3日火曜日

「脱原発」の真意

大阪府と大阪市のエネルギー戦略会議が、関西電力の6月の株主総会で、「脱原発」の経営方針を定款に明記する議案を固めたという。
関西電力の筆頭株主の大阪市の橋下徹市長も大筋で了承したというので、考えてみた。

戦略会議は原発稼働の条件として、「可及的速やかに全原発を廃止する」ことと「絶対的な安全制の確保」を定款に明記することを求めるという。
どうみても、これは無理だ。
原発事故があったばかりのこの時期に、電力会社が「ゼッタイにダイジョウブです」と言って誰が信じるのか。

そのくせ、戦略会議が福井県の大飯原発の再稼働にあたって関西電力に求める条件には、「絶対的な安全制の確保」は入れていない。
とりあえず再稼働のときはいいけど、将来的には「絶対的な安全制」を約束してね、ということか。

いずれにしても、「絶対的な安全制」なんて絶対的に信用できない。
では、なぜこのような要求を関西電力にするのか。
衆院選があるからだ。

株主総会での提案は、言いっぱなしだから責任がない。
受け入れられなかったら、「関西電力は市民感覚とずれている」とか言えばいい。
受け入れたとしても、その責任を果たすのは関西電力だ。大阪市ではない。
言いたい放題なのだ。
「脱原発」の旗印を鮮明にでき、しかも責任は伴わない。
選挙前にこれほどありがたい争点はない。

政権与党の民主党は責任があるから、そうはいかない。
福井県の大飯原発の再稼働については、本音では再稼働したいのだが、世論の空気にびびって決断できない。
橋下君はここでも攻勢に出て、原発から100キロ圏内の自治体との安全協定の締結を再稼働の受け入れ条件にしようとしている。大阪市とも締結しろということだ。

関西電力が協定を締結するようなことになれば、きっと橋下君は無理な要求を突きつけてくる。
要求を断れば、「関西電力は市民感覚とずれている」と言うに決まっている。
民主党政権が再稼働を決断すれば、総選挙に向けて橋下君の「脱原発」の旗印は鮮明になる。

民主党政権は、再稼働が必要な理由を毅然と国民に説明すればよかった。
「橋下市長は無責任だ。我々は責任ある政権与党として再稼働を決断した。もちろん不安がないとは思わない。1年をめどに結論を出す。まずは電力の安定供給で経済を安定させるというのが我々の義務だ」とかいって。
逆に、再稼働したくないというなら、きっぱりと「福島の原因究明ができるまで、再稼働はしません!」と宣言すればよかった。
でも、政権内でもたもたしているうちに、橋下君にどんどん攻め込まれてしまった。

橋下君のメンタリティーからして、「脱原発」というのはあんまり気乗りしない政策のはずだ。
彼のマッチョ思想や保守的な考え方からして、外国の化石燃料をあてにしないで発電できる原子力は大事にしたいエネルギーと思っているに違いない。
でも、選挙前の無責任なときには、何を言っても許される。
民主党だって政権を獲りに行ったときは、消費税を上げないとか、無駄を省いて財政再建するとか、言いたい放題だった。そうした選挙戦術をとったのは、橋下君が尊敬する小沢一郎元代表だ。

橋下君も政権を獲ったら、一転して、「よく勉強してみたら、当面は原子力は必要だということがわかった」とか言うような気がする。そうした「手のひら返し」はこれまで何度もやっている。
大阪府知事選に立候補したときだって、「2万%出ない」と言っていたのだから。

2012年4月2日月曜日

無謬性のジレンマ

橋下君がツイッターでまた怒ってる。
「メディアに問う」ではじまる一文はつぎのような内容だ。

捏造された職員リスト問題で、職員リストをもとに議会で職員労組を追及した維新の会の杉村議員に、メディアは謝罪を求めている。
事実誤認があれば訂正する。でも、訂正したらなんでもかんでも謝罪しなければいけないのか。
メディアだって、事実誤認をしてもなかなか謝らない。
杉村議員はやれるだけのことはやった。労組に濡れ衣を着せたのは捏造した職員だ。
リストの裏取りは僕が交通局に指示して捏造を突き止めた。
公開された議会のやりとりで労組が迷惑をこうむったというなら、議会を非公開にすればいい。
朝日新聞だって、かつて僕の発言が裁判で違法とされたとき、社説で「弁護士資格を返上しては」とやりながら、最高裁で「違法性がない」と確定した後も、謝罪していないじゃないか。

このツイートには、「無謬性」をめぐるマスコミと橋下君のジレンマがひそんでいる。

マスコミが訂正をしてもなかなか謝らないというのは事実だろう。
新聞で「訂正」という見出しの記事はよくみても、「おわび」という見出しの記事はあまり見ない。
前者は「記事は間違いでした。本当はこうです」という事実誤認を訂正する記事。
後者は「記事は間違いでした。本当はこうです。ごめんなさい」という事実誤認の訂正と謝罪を表明する記事だ。
マスコミにとって「訂正」や「おわび」は不名誉なことだ。記事の誤りを認めることは、その報道機関の信頼性を損なうことになりかねないから。

「マスコミは正しい」

これがマスコミのジレンマ。この「無謬性」が行き過ぎると、「間違えても訂正しない」「間違えても謝らない」という本末転倒の行動に結びつく。橋下君が指摘しているのはこの点だ。

でも、橋下君にも「無謬性」のジレンマはあると思う。

橋下君はいま、労働組合と戦争状態だ。市役所にあった労組の事務所に退去を命じ、政治活動とのかかわりをアンケート調査し、締め付けを強めている。
それを可能にしているのは世論の後押しだ。

「労働組合は悪」

そんな雰囲気があるからこそ、多少の行き過ぎも許される。
北海道大の中島岳志准教授がよく指摘する「世論」と「輿論」の違いでいえば、オピニオンとしての輿論ではなく、気分のような世論が労組バッシングを支えている。
もし労組に「ごめんなさい」とやってしまったら、そうした世論の空気が変わりかねない。
それは労組に反撃の余地を与えることになる。
意地でも「間違ってました」と言ってはいけないのだ。

これが橋下君が抱える無謬性のジレンマ。
なんだか大変そうだ。

2012年3月30日金曜日

橋下政治の二面性

橋下君は大阪府知事のころから「二つの顔」を使い分けてきた。
有権者の代表としての顔と、権力者としての顔だ。

公務員の給与削減や外郭団体の統廃合などのコストカットをするときは、有権者の代表になる。いわば「スクラップ系」。
「役人はこんなに高い給料をもらってるんですよ!」
「外郭団体はこんなに無駄なことをしてるんですよ!」
有権者に向かってそう叫びながら、役所内の反発を抑えてきた。

大阪都構想や君が代条例などの新たな施策に取り組むときは、大阪市や大阪維新の会の顔になる。
選挙で認められた首長や政治団体の代表として、権力を行使する。「ビルド系」とでも言おうか。
スクラップ系ほどわかりやすくないため、有権者の間でも議論が分かれることが多い。
そうしたときは「嫌だったら次の選挙で落とせばいい」と強弁するのが常だ。

大阪市長選で勝ったのは「スクラップ系」に支持が集まったからだと思う。
大阪市役所の職員が他の政令指定市と比べて多いことや、労働組合が強大な権力を持っていることをアピールし、それらを「スクラップ」することを約束した。
反対陣営からは「大阪都ってどうなるの?できるの?」というような「ビルド系」への批判が多かったが、常識的に考えて大阪市や大阪府を「大阪都」にしてほしくて投票した人が多かったとは思えない。
「とにかく役人たちをやっつけてよ、橋下さん」というスクラップを待望する気分ではなかったか。

で、今回の捏造リスト問題。
この前の選挙で橋下君と争った前大阪市長を支援する市職員リストが見つかったというのが発端だ。リストには職員労組の名前が書かれていた。
それをもとに、「大阪維新の会」の市議が議会で職員労組を追及したら、実はリストが捏造されたものだったことが後にわかった。
作成したのは大阪市の非常勤職員で、自分で維新の会の議員に持ち込んだそうだ。
以前、民主党の偽メール問題というのがあったけど、構図はあれと似ている。
橋下君は大阪維新の会の代表だ。偽物の証拠で労組を追及したことが発覚したのだから、常識的には「ごめんなさい」しかない。

でも、彼は違った。
「議会の追及をきっかけに僕が交通局に調査を指示して、捏造問題が明らかになった。ある意味、組合のぬれぎぬをはらしたわけだから、まったく問題ない」

すごい論法。
大阪市長として、議会から示されたリストの真贋を部下に調べさせ、組合への疑いを晴らした。
僕が調査を指示しなかったら、濡れ衣のままだったんだよ。
どこが悪い?

橋下君が「大阪市長の顔」だけだったら、これで通る。
でも、彼は「大阪維新の会の顔」でもある。
議会で労組を追及したのは大阪維新の会の市議だ。
市議が追及しなければ、職員労組が濡れ衣を着せられることもなかった。

「スクラップ」が支持されるのは、既成の勢力が溜めこんできた「あか」や「うみ」を絞り出すからだ。
デトックスのような爽快感。
でも、大阪維新の会は橋下君が新たにつくった政治団体だ。「あか」や「うみ」はこれからたまっていく。「ビルド」の責任はすべて橋下君が負う。

この二つの顔を使い分けながらバランスをとっているのが橋下政治の真骨頂だと思う。

有権者の議論が分かれる「ビルド型の政治」への批判を抑えるためには、常に「スクラップ型の政治」の爽快感を有権者に示しておかないといけない。
そのためには常にスクラップの対象を見つけておく必要がある。
でないとバランスが保てない。

橋下君はいま、関西電力の原発再稼働への反対を強めている。
いわばスクラップ型の政治。
その爽快感が、君が代斉唱の口元チェックや捏造リストなどのビルド型政治のマイナスポイントを少なからず相殺しているのは、間違いない。

2012年3月25日日曜日

維新の会政治塾とストーム・トルーパー

大阪維新の会の政治塾の開講式をみて、スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃(2002年公開)を思い出した。

銀河系共和国がダース・ベイダーの帝国に変質する前の時代を描いたこの物語のハイライトは、共和国が組織したクローン軍の登場シーンだ。

賞金稼ぎのジャンゴ・フェットの遺伝子を受け継ぐクローン軍は、数百、数千もの歩兵隊が一斉に右向け右をして銃を構える。
スターウォーズファンにとって驚きなのが、このクローン軍が、エピソード4以降でダース・ベイダーの手先となって共和国を攻撃することになるストーム・トルーパーの原型だからだ。
共和国を攻撃する歩兵隊が、実は自分たちの組織したクローン軍だったという話。

で、大阪維新の会の政治塾。
異様に感じたのは、大阪国際会議場に集まった2千人もの受講生が一斉に君が代を斉唱する場面だ。まるでストーム・トルーパーの右向け右。
そんなに意思統一をアピールしたいのかな。


大阪維新の会は橋下君抜きにはあり得ない。
幹事長の松井一郎知事でも、堺屋太一でもなく、橋下徹がいるから皆集まった。
具体的な政策に共鳴して集まったわけでもない。塾生の募集は大阪維新の会の政策集である船中八策の原案が公表される前のことだ。
まして、大阪市と大阪府を統合して大阪都をつくるためだけに、これだけの人たちが全国各地から集まるわけがない。

橋下君による橋下君のための集団。

例えば民主党は、小沢一郎が政権交代の原動力だったとしても、小沢一郎抜きに存在している(次の衆院選で政権から滑り落ちるかもしれないけど)。自民党との対立軸として、大きな政府という旗印もある。労組という支持母体の属性もある。
でも、大阪維新の会はどうか。橋下君がいなくなった場合、寄って立つ共通基盤はあるのか。
政策と言っても独自の政治哲学があるようには見えない。小泉首相に似ている、と言われているぐらいだから。
橋下君が自ら「バブル」と自嘲しているように、支持組織もあってないようなものだ。

とすると、この政治塾に集まった人たちは、何をしようとしているのだろう。
国を変えたい、なんていまどき誰でも思っている。
社会貢献なんて、それぞれの仕事や生活の中でもできる。
興味本位の人も多いようだけど、橋下君の威光を借りてあわよくば国会議員になりたい、ということではないのか。

その野心自体を否定するわけではない。そうやってのし上がって行く人生もあるだろう。
気持ち悪いのは、彼らが橋下支持という一点において存在しているということだ。
橋下君の政策に反対したら、「去ってもらって結構です」と言われるのは間違いない。
そうなったら、いくら「維新」と自称してもどうにもならない。自民党や民主党からの鞍替えでないかぎり、支持組織なんてないわけだし。
まるで橋下クローン軍。

スターウォーズのクローン軍は当初、共和国の機動歩兵隊として組織された。
ところが、共和国の帝国化をはかるパルパティーン皇帝(ダース・ベイダーの師匠)が発した「オーダー66」という命令によって一斉に寝返り、共和国民を攻撃するようになる。
この命令には理由がない。
ただ、寝返りを命じるだけ。
クローン軍は命令されたから従うだけ。

橋下君の発するオーダーがどんなものかはわからない。
でも、彼の一言に従うことでしか存在し得ない勢力が誕生したことに、不安を覚える。

2012年3月23日金曜日

卒業式に出てみました

子どもの小学校の卒業式に出た。
開式の言葉に続いて「君が代斉唱」があった。
起立しない教員もいるのかな~と思ってキョロキョロしたが、教員も児童も保護者もみな立ち上がって無事に歌い終えた。

そこで思ったのだが、橋下君が君が代の起立斉唱にあれだけこだわるのは、自分の子どもの卒業式で嫌な思いをしたことがあるからではないか。

彼は3男4女の父親だ。
日ごろ、あれだけ論理立てて物事を説明しようとする彼が、子どものことになると乱れる。
昨秋の大阪市長選のとき、週刊文春や週刊新潮に自分の出自のことを書かれたことがあった。
彼は「バカ文春、バカ新潮」と罵詈雑言を浴びせかけて猛反撃したが、ツイッターでつぶやいた次の一文が気になった。

子供は親を選べない。僕の子供も不幸極まりない。中学の子供2人には先日話した。子供は、そんなの関係ないやん!と言ってくれたが、その方がつらい。文句を言ってくれた方が楽だった。

うがった見方をすれば、子どもをネタに同情を集めていると見ることもできる。
でも、「文句を言ってくれた方が楽だった」というのは、よくわかる。
親のもたらした境遇に耐えている子どもの姿を見るのは、とてもつらいものだ。
めずらしく本音を漏らしたのだと思った。

知事時代にはこんなこともあった。
サッカーのワールドカップで活躍した日本代表の遠藤保仁選手が大阪府庁で表彰された際、知事室に自分の子どもを呼んでサインをしてもらった。
このことを「公私混同ではないか」と記者会見で指摘されると、「知事ファミリーとして当然の振る舞い。僕の子どもは一般家庭とは違う制限を受けている」と反論し、「ほかの子どもと比べて不公平ではないか」と追及されると、「その子どものお父さんに知事になってもらうしかない」と開き直った。

あまりの暴論に批判も多かったが、感情をむき出しにしたのはやはり子どもが批判対象になったからではないか、と思った。

余談だけど、かつて朝日新聞に対して「廃刊したらどうか」と猛然と批判を浴びせたときがあった。
きっかけは、山口県光市の母子殺害事件を巡る橋下君のテレビ発言について、朝日新聞の社説が「弁護士資格を返上しては」と書いたことだった。
このときも、ぶら下がりで「僕の弁護士事務所に勤める事務員はどうなってもいいってことなんでしょうかね」と言っていたのが気になった。身内のことに思いを巡らした反発だったのかと想像した。

卒業式に話題を戻すと、たしかに一生に一度の子どもの晴れ舞台で、自分の主義主張のために場を乱す先生がいたら、親としては許せないと思う(もちろん、そう思わない親もいるだろうけど)。
それほど、子どもたちが愛おしくなる式典だ。

もし、橋下君の子どもの卒業式でそのようなことがあったとしたら、その恨みを「君が代条例」で晴らそうとしたとしても不思議ではない。公務員に対する彼のルサンチマンは尋常ではないのだから。
条例が起立斉唱を義務づけているのは教職員だけで、子どもたちに強制するものではないし。

その一方で、教頭の口元チェックにおびえる先生を見て、子どもたちが悲しい思いをすることがないよう心から願う。
最近になって、橋下君が「嫌だったら卒業式を欠席するのも大人の知恵」と教職員に逃げ道を示したのは、そうした子どもたちへの配慮と思いたい。

2012年3月21日水曜日

独裁新聞

読売新聞の渡辺恒雄氏が橋下徹市長について「ヒトラーを想起させる」と文芸春秋に書いたことに、橋下市長がツイッターで反論している。

「渡辺氏の方が読売新聞社だけでなく政界も財界も野球界も牛耳る堂々たる独裁じゃないですかね」

選挙で落とされる政治家と比べれば、民間企業の経営者ははるかに独裁的だ。
一握りの役員たちが方針を決め、社員たちはそれに従うしかない。
経営がうまくいかなくても、「いまが正念場」とか言って2期、3期と続投できる。
不祥事があっても、「職務を全うすることが私の責務」と言えばいい。
労組ががんばっても、社長を交代させる権限はない。
橋下君が市役所の職員組合のことを「社長を決めることができる労組」と批判したのはこのためだ。

もし、新聞社の社長が選挙で選ばれることになったら、どうなるだろう。
有権者は記者と読者。

現職のA候補者は紙面の充実を公約に掲げた。
解説面を増やしたり、国際ニュースをもっと充実させたり、ネット配信も強化する。
記者の支持は集めるだろう。社内的にも紙面改革に力が入り、記者は活気づきそうだ。

新顔のB候補者は購読料の値下げを公約に掲げた。
財源として社員のリストラを断行し、給与カットや早期退職を進める。
記者は嫌がるだろうけど、読者の支持は集めそうだ。

A候補者を支持する記者たちは、読者に紙面をアピールするためにいい仕事をするようになる。
B候補者が社長になれば給料を減らされるから、みな必死だ。
野球や音楽会の主催イベントもたくさんやって、読者の支持を広げる。
宗教新聞の印刷も請け負って、組織票も集める。

でも、B候補者がコストカットに加え、大胆な紙面改革案を示したらどうだろう。
「夕刊を廃止し、朝刊だけにします」
「地方支局は廃止し、東京と大阪の都市部に人材を集中させます」
「社外筆者を登用し、内田樹氏やマイケル・サンデル氏に論説委員の就任を要請します」

眉をひそめる記者もいるかもしれないが、読者はB候補者を選ぶような気がする。

なぜ、現実の新聞社ではこうしたドラスティックな改革が進まないのか。
独裁的な経営で、読者の民意が反映されにくいからか。

各新聞社はいま、部数減にあえいでいる。
それでも、思い切った改革に踏み切る新聞社は見あたらない。
まだ大丈夫だと思っているからか。
失敗のリスクを犯すほどの危機は迫っていないと考えているからか。

でも、ある新聞社が大胆な紙面改革を単独で先行したらどうなるか。
「来月から購読料を半額にします」
「主筆は池上彰さんです」

新聞の停滞の一因が、その「横並び体質」にあるのは間違いない。
周囲の様子を見すぎて、自分から動けない。
他社見て読者見ず。
むしろ独裁の逆だ。

橋下君の言葉を借りれば

今の日本の新聞社で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力ですよ。

ということか。
じゃあナベツネでいいってことか。

2012年3月20日火曜日

橋下徹の「正義」の話をしよう

NHKでマイケル・サンデルの究極の選択という番組を見ていて、もし橋下徹市長がテーマになったら、どうなるだろうと想像してみた。

ある高校の卒業式で、君が代斉唱の時間になった。
大阪府では君が代は起立して斉唱することが教員に義務づけられている。
教育委員会が職務命令を出し、条例でも「教職員は起立により斉唱」と定めているからだ。
これを確認するため、校長の指示で教頭が教職員の口元の動きをチェックした。
教育委員会が起立斉唱の状況報告を各学校に求めていたからだ。
校長は口元が動いていなかった3人を校長室に呼び、斉唱していなかったか確認した。
こうした行為は正しいだろうか。

クニオ、君はどう思う?

――僕は、間違ってると思います。

どうして?

――だって、卒業式は監視する場ではなく、卒業する生徒を送り出す場だからです。校長が先生を監視しているということを生徒たちが知ったら、せっかくの記念日が台無しになってしまいます。

いいだろう。トオル、君の意見も聞かせてほしい。

――私は問題ないと思います。校長は職務命令がきちんと守られているか教育委員会に報告する義務があります。もし、校長が教頭に監視させなかったら、命令が守られているかどうかわかりません。すると、教職員も命令を守らなくなる可能性があります。

命令を守らせるためには、監視が必要だということだね。
リカはこのことについて、どう考える?

――職務命令を守らせるには、監視しかないのかな。それは、あまりにも人を信用しない見方だと思います。それに・・・。

それに、なんだい?

――守るべき命令自体に問題があるかもしれません。君が代を起立して斉唱するというのは、本当に守るべき命令なんでしょうか。正しいのなら、守るように説得することができると思います。でも、もし正しい命令じゃないとしたら。守らない教職員の方が正しいということになりませんか。

トオル、何か反論はあるかい。

――命令が正しいかどうかは、問題ではないと思います。実際に命令は出されており、校長や教頭には管理職としてそれを教職員に守らせる義務があります。そうした義務を無視して、命令が正しいかどうかを管理職が勝手に判断していたら、組織の規律が守られなくなってしまいます。そうした自由までは認められないと思います。

誰か意見のある人は?タカシ、君はどう思う?

――規律を守ることが最上の目的であれば、トオルの言う通りだと思います。でも、そうでしょうか。規律を守ることによって失われるものはないのでしょうか。例えば、その卒業式に出た生徒たちは、監視した教頭やそれを命じた校長に失望するかもしれない。それは幸せなことでしょうか。

いいだろう。
タカシの意見は、生徒たちの幸せの度合いを基準に、今回の監視問題を判断してみようという提案だ。ベンサムの「最大多数の最大幸福」という功利主義の観点からみた場合、口元監視は有効な手段だろうか。
クニオ、君の意見はどうだい?

――私は功利主義の視点からみても、口元監視は社会全体の幸福を最大化しないと思います。だって、今回の問題が話題になってから、反対意見が数多く出ています。監視はやり過ぎだ、校長を擁護する橋下市長は間違っている、と。君が代のような意見の分かれる問題について、一方の権利を制限するようなやり方は、幸福の最大化にはつながらないと思います。ほどほどにしておけば、歌いたい人も歌いたくない人も幸せになったはずです。

トオル、君の意見を聞かせてほしい。

――僕は最大幸福につながると思います。橋下市長は口元監視を正しいと擁護しています。そして、いまの社会ではその判断を支持する人たちが多いと思います。だって、橋下市長はそうした主張で選挙を勝ち抜いてきたわけですから。いままでの卒業式では、そうしたことをしてこなかった。でも、起立斉唱しない教職員たちによって、卒業式が乱れていたのは事実です。それを不満に思っていた人たちが多かったからこそ、橋下市長が当選したとも言えます。ならば、乱れていた状態の卒業式より、規律を守らせようとする卒業式の方が、いまの社会全体でみれば幸福になる人は多いはずです。反論している人たちはむしろ少数で、少数の幸福を優先することは幸福の最大化につながらないと思います。それが民主主義です。



・・・・・NHKがこんな企画をやったら面白いと思うんだけどな。

2012年3月17日土曜日

それってこういうことだよね

君が代斉唱の口元チェック騒動で、橋下徹市長はますます先鋭化しているようにみえる。
きょうのツイッターでも、
「監視が悪いというなら、世の中、行政など成り立たない。行政はルールをしっかり守っていく、守らせていくことが使命である」
と気を吐いていた。

これほど「監視」「監視」と叫びながら有権者から支持される市長って、過去にいたのかな。
しかも、監視対象は北朝鮮の工作員や暴力団の組員ではなく、学校の先生。
橋下君は「有権者の多くは、ルール違反の教員を非難している」と強気だけど、
監視対象になったのは、ちゃんと歌った先生もひっくるめて全員だ。

ルール違反者を見つけるためには、ルールを守っている人もひっくるめて監視しないといけない。
大多数の人たちが、ルールを守りながら不当に「疑いの目」をかけられることになる。
橋下君を支持する人たちだって、「俺たちのことも監視してください!」と言うつもりはないだろう。
(そうだったら怖いけど)。

たとえば橋下君が将来、「大阪駅周辺の路上喫煙禁止を徹底させます」と宣言したら、大阪駅の周辺を歩く人たちすべてが監視対象だ。
タバコを吸わない人たちだって同じ。
監視員みたいな役人から、「こいつもポケットにタバコをしのばせて、路上で吸おうと思ってるんじゃないか」という目でじろじろ見られる。
ポケットからスマホを出そうとしたら、監視員の目がカッと見開く、なんてことになりかねない。

それにしても、こうしたことを橋下君にまともにぶつけても、「じゃあルール違反の教員を見逃していいんですか」と言われるだけ。
どうしたらいいんだろう。

内田樹先生が「最終講義」のなかで、こんなことを言っていた。

難しい学術的な概念や仮説を、わかりやすい日常的なたとえ話に落とし込んで説明することが僕は得意です。「これって、要するにあれのことだよね」という連想によって、似ても似つかぬものの間に思いがけないパターンの類似性を見いだすのは僕の数少ない特技です。

きっと、これなんじゃないかなと思った。
「橋下君がやっていることって、要するにこういうことだよ」とわかりやすい例示を考える。

小田嶋隆さんが今日のツイッターで
「橋下さんの支持層を右翼だと言う人たちがいますが、私は、彼らの既得権益者やインテリ層に対する憎しみを見ていて、文化大革命の折の紅衛兵やポル・ポトのクメール・ルージュを思い出します」
と書いているのを見て、なるほど!と思った。

橋下君はよく、競争をあおる新自由主義的な人にみられるけど、そうしたリバタリアンではなく、むしろ社会主義的な人なんじゃないかと思う。やたらと「統治」とか「監視」とか言ってるし。
そういえば、歴史学者の與那覇潤さんも朝日新聞のインタビューで「橋下徹さんの政治が賛否両論を呼ぶのも、いわば中国的な民主主義だからでしょう」と言っていた。


そんなかみ砕き方をしていくしか、いまの橋下君の勢いを止めることはできないんじゃないかと思う。

2012年3月16日金曜日

君が代条例とナチスの反タバコ運動

橋下君がツイッターで君が代斉唱問題について論じている。

ことの発端は、大阪府立高校の卒業式で、教員がちゃんと君が代を斉唱しているかどうか、教頭が教員の口元の動きをチェックし、動いていなかった3人を校長が校長室に呼んだという問題だ。
橋下市長は「これが服務規律を徹底するマネジメント」と校長の対応を絶賛した。
だが、賛否両論が渦巻いている。

橋下君の主張はこうだ。

君が代の起立斉唱を命じ、その状況報告を求めたのは教育委員会だ。
口元をチェックしないで、どうやって斉唱を確認するのか。
校長は間違っていない。おかしいとすれば、それを命じた教育委員会だ。
教育委員会の命令を守らせるために、全国初の君が代条例を制定した。

おっしゃる通り。
理屈としては正しい。
筋が通っている。

でも、「そこまでやるか」という気持ちの悪さが残る。

たとえば軽犯罪法は
「街路でタンつばを吐き、または小便をした者は、拘留または科料に処する」
と定めている。
サラリーマンが道ばたでカーッペッとやったとき、建物の陰でこれを監視していた警察官がつかつかとやってきて、「軽犯罪法違反です。署までご同行願います」とやったらどうだろう。

もし橋下君が首相になっていたら、ぶら下がり取材でこう言うのだろう。

タンつばを禁じ、拘留に処すると決めているのは軽犯罪法だ。
街頭を歩く人を監視しないで、どうやって違法行為を確認するのか。
警察官は間違っていない。
おかしいとすれば、軽犯罪法を決めた国会であり、国会議員を選んだ国民だ。

おっしゃる通り。
理屈としては正しい。
でも、これでいいのか。

軽犯罪法だって、第四条で「この法律の適用にあたっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意」することを求めている。
要は運用の問題。さじ加減ってことだ。

橋下君の組織マネジメントの厳格さで思い出したことがある。

大阪府知事になったばかりのころ、最初に手がけたのが大阪府庁舎の全面禁煙だった。
喫煙室を撤廃するだけでなく、喫煙のための休息時間を定めた条例も改正した。
当然職員からは不満の声があがったが、勤務時間にタバコを吸うことは胸を張って主張できる権利ではない。「勤務時間は職務に専念せよ」というのはもっともだ。

ただ、ある野党議員がこうつぶやいた。
「ヒトラーも最初にやったのは禁煙運動だった」

本当?と思ってウィキペディアを調べたら、あった。
「ナチス・ドイツの反タバコ運動」
ドイツ人医師が初めて喫煙と肺がんの関連性を確認してから、ナチス・ドイツ政権が喫煙に対する反対運動を開始した、とある。これが近代における最初の禁煙キャンペーンと言われるそうだ。

国民の健康を守るため、肺がんになるタバコを禁じる。

理屈としては正しいのかもしれない。
でもなあ。そこまでやるか。

橋下君とナチス。

世間の不安感を裏打ちするようで、怖い。

2012年3月12日月曜日

橋下徹の3・11

大阪維新の会の橋下徹代表が「船中八策」の原案を発表した。国政進出に向けた政策集だ。

 大阪の朝日新聞では11日の朝刊一面で取り上げられたが、なぜか橋下君は「単なるレジュメ」と控えめで、「重要な日ですねと言われたが、重要な日ではない」とさえ述べたという。
しかも、彼にしては珍しく、記者会見やぶら下がり取材も拒否した、と朝日新聞・橋下番のツイートにあった。

 その理由を、国政を刺激したくないというような政治的な背景で読み解くこともできるのだろうけど、僕はあえて3・11が理由だったんじゃないかな、と考えた。

発表したのは前日の10日。でも新聞に載るのは11日。紙面は「あの日から一年」であふれてる。 もちろん、大きく取り上げられないという打算があったとの見方もできる。
でも、世の中の空気を読むことにとかく神経を研ぎ澄ませる彼のことだ。きっと、こう言われることを恐れたのではないか。

 こんな大切な日に、国政進出に向けた政策集を発表して、浮かれてんじゃねーぞ。

 何でこの日を発表の日にしたのだろう。彼にしてみれば痛い失敗だったと思う。いいかどうかは別にして、日本中がまるで喪に服するような一日だ。その日の朝に「橋下市長、政策集に自信」みたいな見出しの記事が載っては、反発をおぼえる人も少なくなかっただろう。

 質問したって真意は明かさないだろうけど、そう考えることにする。まるっきりトンチンカンな見立てかもしれないけど、そう思いたい。

2012年3月10日土曜日

橋下徹と在日米軍

橋下君が大阪府知事のころ、中国総領事のレセプションをドタキャンしたことがある。

新しく着任した駐大阪総領事のお披露目だったが、「家庭の事情」を理由に当日になって欠席を伝えた。だが実際には、レセプションが始まる時間になっても、橋下知事は大阪府庁にいた。しばらくして府庁を出たが、まっすぐ自宅に帰らず、自分の弁護士事務所に寄ってから帰宅した。レセプションに顔を出すことは可能だった。

なぜ橋下君はそのような態度を取ったのか。

彼は自分に敵対する権力や権威に過剰なほどのアレルギー反応を示す。
大阪府も大阪市も、行政権力である。そこに立ち向かうエネルギーのすさまじさは、いままで見せつけてきた通りだ。知事や市長という権力者になってからは、さらに大きな権力である政府を相手に闘争を繰り返している。


実はドタキャンの1週間ほど前、橋下知事は中国総領事とちょっとした問題を起こしていた。
橋下知事が台湾に出張する意向を示したことに、大阪府庁を訪れた中国総領事が苦言を呈していたのだ。レセプションのドタキャンは、その意趣返しとみられた。
(もっとも、本人は「何も問題ない」と否定し、その後、総領事と食事会をして関係を修復している)

一知事が中国政府の代表者に対して、いくら気に入らない態度を取られたからといって、ここまでするだろうか。相当な執念深さだ。

で、思う。

橋下君が首相になったら、きっと戦争の危機が生まれる。

しかも、米国と。

憲法9条でさえ、疑問を呈する彼だ。在日米軍という不条理をそのままにしておけるはずがない。
なぜ独立国に外国の軍隊がいるのか。
軍事力を背景に何かと無理強いをしてくる米国に、彼が我慢できるはずがない。

もちろん、勝算のないまま突っ込むようなマネはしない。
カギは中国だと思う。中国との関係を強化したうえで、米国と渡り合おうとする。
彼が心酔する小沢一郎だって中国重視だし。

すべて勝手な妄想だけど、もし当たったらすごい。
と思って、ブログに残すことにした。

2012年3月9日金曜日

「きれいごと」を嫌う理由

橋下市長が憲法9条発言で話題になっているという(朝日新聞3月9日朝刊)。

「東日本大震災のがれき処理を拒否するのは、自分の嫌なことはしないという憲法9条が原因だ」
ツイッターや記者のぶら下がりで述べたそうだ。

どうして、この二つが結びつくのか。

憲法9条が、その精神は素晴らしいものだとしても、現実と離れた部分があることに異論はないと思う。陸海空軍は保持しないというのに、自衛隊はあるわけだから。

橋下君が言いたいのは、こういうことだろう。

憲法9条で戦争の放棄って言ったって、自衛隊や在日米軍に自国の領土を守ってもらってるじゃねえか。それなのに「私たちは憲法9条で戦争の放棄をうたっています。戦争反対です」なんて言うのはきれいごとだ。現実を無視した「エゴ」だ。
「頑張ろう日本」「絆」と言いながら、被災地のがれき処理を拒否するのも「エゴ」だ。きれいごとばかり言いやがって。
「絆」というからには、リスクも共有しろ。それができないなら、絆なんて言うんじゃねえ。

こんな感じ(もちろん私の想像だけど)。

橋下君は、権利ばかり主張して義務を負わない人が嫌いだ。自分自身が苦労して(つまり義務を果たして)いまの立場にいるという自負が強いので、そうなるのだろう。
だから、労組は大嫌い。もともと労働者の権利を守るための組織だから仕方がない面はあるのだが、容赦しない。

リスクを負わない人たちも嫌い。象徴は公務員だ。
新聞の論説委員やテレビのコメンテーターに何かと文句をつけてくるのも、新聞やテレビという大組織を背景にモノを言ってくるのが気にくわないから。大企業の集まりの財界も好きじゃない。
逆に、スポーツ選手とか芸能人とか自分の腕一本で勝負している人たちには敬意を払う。やしきたかじんや紳助に心酔しているのも、そうした理由だと思う。

こうした視点から見ると、憲法9条とがれき処理の問題は同じカテゴリーに見えてくる。

2012年3月6日火曜日

橋下流、新聞経営法

橋下徹市長のツイッターは有名だけど、橋下市長の動向をツイートする「朝日新聞・橋下番」におもしろいつぶやきがあった。

記者から世論調査の高支持率の感想を問われ、橋下市長はこう言ったという。

「何がすごいかというと、民意にすりよると、民意は離れていくんですよ。民意に合わそう、合わそうと思うと離れていってしまう。だからといって無視しつづけるとそのまま離れていく」



たとえば、自民党末期の定額給付金。ばらまきと批判され、かえって支持を失った。
民主党も「コンクリートから人へ」という受けのよさそうなキャッチコピーを掲げたが、東日本大震災もあって腰砕けになった。


いつもそうなのだが、橋下君は自分を客観視しようと努めている。しかも、それを公言するから面白い。去年の市長選のときに「いまの政治にはある意味、独裁者が必要」という言葉が反対陣営から批判されたけど、あんな言葉は4年前の大阪府知事選の当選直後から言っていた。


「独裁者ですよ、僕は。38歳の僕のメッセージで方針が変わる。極めて危険」(2008年3月1日朝日新聞)
大阪府庁という大組織が、当選したばかりの若い知事の指示で大きく変わることへの驚きと不安を正直に語っていた。




閑話休題。



橋下市長の民意に対する認識は、そのまま新聞社にあてはまると思う。

いま新聞社はどこも部数減に悩んでいる。毎年10万単位の読者が離れていく。
まるで、支持率低迷に悩む民主党や自民党みたい。
部数減に対処するために、新聞社は人を減らしたり、経費を削減したりしているが、支出を減らしても、収入が増えなければ、いずれ倒産する。


どうしたら部数を伸ばせるか、または維持できるか。
そこで、橋下君のいう「民意」を「読者」に置き換えてみる。


「何がすごいかというと、読者にすりよると、読者は離れていくんですよ。読者に合わそう、合わそうと思うと離れていってしまう。だからといって無視しつづけるとそのまま離れていく」


すごい。その通りだと思う。


たとえば、新聞各紙は文字を大きくしている。以前と比べると、まるで小学生新聞のようだ。
高齢者が増えたから、そうした購読層に向けたサービスということだろうけど、そうした高齢読者にすり寄った結果、新聞としての情報量は落ちた。


政治に置き換えると、高齢者の年金、介護に税金をつぎこみ続け、若者の支持を失っている既成政党のようにみえる。橋下市長がこの世代間格差に目を付けて若年層にシフトした政策をとっているのは、若年層の支持を掘り起こす狙いがある。これまで投票率の低かった世代が選挙に行くようになり、自分に投票するようになれば、支持基盤は厚くなる。


イベント記事も「すり寄り」に近い。大きな大会やコンクールを主催して記事を載せると、参加者やその家族が新聞を読んでくれる。寺院の展覧会のように新聞社が宗教団体の企画を主催したり記事を載せたりするのも、その信徒が新聞を読んでくれるようになることを期待してのことだろう。
でも、こうした記事は関係者向けであって、それ以外の読者からするとあまり関心が持てない。やりすぎると、やはり読者は離れる。


いま橋下市長は公明党との関係を強めている。支持母体の創価学会の支援を望んでのことだろうが、あやうい選択だと思う。一歩間違えれば自民党と同じ轍を踏むことになる。だって、いずれ公明党の政策を飲まされるわけだから(定額給付金のように)。


何もしなければ部数は減る一方で、読者はそのまま離れていく。
大事なのは、新聞は何のためにあるのか、という原点だと思う。


部数を狙って記事を書くのではない。
といって部数を無視して商業新聞は成り立たない。
書いた記事が読者のためになり、結果として部数につながる記事ってないものか。


「非常に難しいが、民意は非常に大切というか、民主政治の原点だと思う」


橋下君のいう通りだ。


「非常に難しいが、読者は非常に大切というか、新聞の原点だと思う」

2012年3月4日日曜日

橋下君の「いいね!」

橋下君が知事になったばかりのころ、記者会見で「大阪府知事公館」の名前の話題になった。

知事として住むつもりはなく、それでは「知事公館」という名前はどうか、というような話だった。
出席していた新聞記者が
「では『大阪府公館』ならどうですか」
と橋下知事に問いかけた。
すると
「いいですね!」
その場で橋下知事が応じ、まもなく公館の門柱に「大阪府公館」の表札が掲げられた。

橋下君は人の話をよく聞く。
もともと行政に通じていたわけではないから、なにもかもが新鮮なのだろう。
その一方で、ルサンチマンとも言える役人不信があるものだから、
「どうしてそうなっているのか」という疑問に明快な答えがなかった場合、
「既得権益者がうまい汁をすっているに違いない」
という洞察がはたらき、仕組みを変えようとする。

いま橋下市長にはブレーンという人たちがたくさんいるようだけど、彼らはつまり、橋下君が求める「代案」を提示できる人たちだ。「いいですね!」と言われながら。
そうした代案が、新たな権益者を生むことになるのは想像に難くない。
税金の配分を受ける人や団体が、こっちからあっちへ移るだけだから。
でも、それこそが政治。そういう判断自体は政治家として当然のことだと思う。
あとは有権者がどう評価するか、ということだけ。
これは橋下君がつねづね言っていることだ。

ただ、橋下君の発言力が増すにしたがって、「いいですね!」と言われて自己実現を期待する人が増えてきているように思う。
例えば、みんなの党。
橋下君に「僕の考えと一緒です」と言ってもらって、陰り気味の人気を取り戻そうとしているようにしか見えない。
そういうあさましさを、橋下君はうまいこと利用する。
あさましい、といって切るのではなく、利用できるところまで利用する。
そうした打算を巧みにできるのは、政治家の資質の一つではあるのだろう。

でも、なんかそうしたあさましい人を見るにつけ、いやーな気分になる。
虎の威を借る狐というか。

マスコミもそうだ。
橋下君はメディアが指摘したことを受けて、政策に取り入れることがある。
批判を受けて改善するのは、正しい姿勢だと思う。
指摘する側も、時の権力者に「いいですね!」と言ってもらったら、悪い気はしない。

だからといって、橋下君にお追従して自己実現しようとしているようなキャスターや新聞記者をみると、いやーな気持ちになる。先生にこびる生徒みたいで。

「先生、○○君が授業中にお弁当を食べています!」
「先生、△△君が学校の帰り道に寄り道をしています!」

指摘としては正しいかもしれない。でも、人としてどうか。

報道機関は権力に近づきすぎると、批判勢力としての存在意義が薄れる。
あくまでも権力監視が第一だ。
橋下君に「批判ばかりで対案がない」といわれてもいい。
政策を示してその実現のために報道するなら、政党機関誌になりかねない。
維新の会でも自民党でも民主党でも公明党でも共産党でも、おかしいところを指摘する。
対案がないことを後ろめたく思うことはない。権力者の行動に対して、それをいさめる。
「批判だけですけど、それがなにか?」と開き直ればいいのだ。

先生にほめられたくて、仲間の告げ口をする学級委員長にはなりたくない。
こわい先生でも、やってることがおかしければ指摘する、勇気ある友だちでありたい。

2012年3月3日土曜日

原発事故と政治のデッドロック

思想家の内田樹氏が著書「原発と祈り」(メディアファクトリー)でこんなことを言っていた。

「電力会社側は『万が一の危険もない』って断言した手前、『万に一つの危険』に対して備えをすることができなくなる。自分で自分を手を縛ってしまう」
「反対派は、電力会社が安全性の基準を上げようとすると、その補正の動きを危険の兆候だと見なす」
「両方ともが無意識のうちに、事故が起きるほうこうに向かっているんだよ」

原発反対派が揚げ足を取ることに躍起になればなるほど、電力会社は揚げ足を取られまいとして、かえって原発の安全性を高められなくなるというアイロニー。

「とりあえず、どうやって安全に操業するかという純粋にテクニカルな議論に集中すべきなのに、そういう提案をした瞬間に『お前は原発推進派なんだな』って批判される」
と内田氏は嘆く。

こういうデッドロックって政治の世界にもあると思う。

先日の党首討論。
自民党の谷垣総裁から
「税制改革だけ先行して提出するのでは、一体改革の名に値しない」
と批判された野田首相が
「大綱にも『順次実施する』と書いてある。一体改革だ」
と強弁して失笑された。

こうした詭弁を聴かされるにつけ、有権者は政治不信を募らせる。
野党は揚げ足を取ることに一生懸命で、政府は「誤りを認めてはならない」と頑なになる。
建前の応酬ばかりで、本音のぶつかり合いがない。
それが政治のデッドロックを生んでいる気がしてならない。

橋下政治がスピード感をもつのは、この類いのデッドロックがないからだ。
本音トーク、全開。
有権者が「そうそう」と思えることを、ずばり突く。
少々口が悪くても信用されるのは、うそをつかないと思われているからだろう。
「僕は不適切な発言ばかりやってる」と言い放って平気な顔。
良くも悪くも開き直りがうまい。

小泉首相もそんな感じだった。
「この程度の約束を守らないことは、たいしたことではない」
と公約違反を認めて予算委員会が騒然となったことがあったけれど、
「そうだそうだ」と思った有権者も多かったに違いない。

こういう乱暴な言動に、批判は多い。
でも、動かない政治よりはマシ、と思えてしまう。

2012年3月1日木曜日

あの人が新聞社の社長になったら

通勤電車の中で、ふと考えた。

もし、新聞の読者が投票権をもち、その新聞社の社長を選ぶことができるようになったら。

たとえば「新聞ななめよみ」の池上彰さんのような人が「新聞を変えましょう!」と立候補したら、人気を集めるだろうなあ。

橋下徹みたいな人が当選したら、どうなるだろう。

「新聞社は赤字なのに、社員の給料は一般の民間企業と比べてずいぶん高い」とかいって、給与カットから手をつけるんだろうな。4割カットとか言いだしたりして、記者たちはびっくり。

「社員基本規則」みたいなものをつくり、デスクの業務命令に3回続けて従わない記者を懲戒免職にする制度、をつくるかもしれない。記者が「事件の続報なんて、無理して書く必要があるんですか」とかいったら、「嫌ならやめてもらって結構です」とか言われたりして。

「文化部は赤字だから廃止」といった組織の統廃合や、「政治部や社会部は不偏不党になってない」とかいって、アンケート調査やメール調査を始める可能性もある。

本社の部長や地方の支局長の公募はどうだろう。
右翼や左翼の活動家も手を挙げてくるかもしれない。「新聞を、変えます!」と威勢のいい所信表明をしながら。

そのうち、記事にも注文をつけるようになって、「この記事は読者の理解を得られない。差し替えてください」といった社長命令を出すようになるかもしれない。
記者が「どうしてですか、これは大事な記事ですよ。何度も1面に載ったし」と抵抗しても
「これが読者の民意です」
「嫌なら、あなたが立候補して社長になってください」
と言われておわり。

こうした「改革」のひとつひとつを、毎日のように報道各社の取材に応じる形で公開していく。
そのたびにテレビや他の新聞が大きく報じる。
「橋下改革に戸惑う社員」とかいう見出しで。
テレビの街頭インタビューで
「我々の思っている読者の民意とは違う」
とか答える記者がいたら、反省文を書かせる。処分もあるかも。



でも、新聞記者の高給に批判の矛先が向けば、読者はこうした改革に賛成するような気がする。
「橋下さんは、はっきりものを言うからわかりやすい」とか言いながら。
記者たちが反対しても、「既得権益を離したくないから反対してる」と批判されるだけ。
「庶民の味方みたいな顔をしながら、自分たちはいい暮らししてたんやな」と反発を招く。

一部の有識者は反対の論陣を張るかもしれない。「文化面を守れ」とか「利益誘導と脅しでは記者は育たない」とかいって。

でも、「自称インテリがふざけたことを言ってるけど、現場をまったく知らない机上の空論だ。このままでは新聞社は倒産する」とツイッターでつぶやいて、おわり。

2012年2月29日水曜日

不安とインテリとツイッター

橋下徹は感情を抑制できる人間だ。

テレビに映る彼はいつも容赦なく相手を威圧し、声をからして敵を批判する。 その威勢のよさに有権者は喝采をおくる。
だけど、かつて差し向かいで会った彼はとても静かだった。 僕は引きこもりですから、と自嘲して言ったこともある。 彼の行きつけの店のご主人も、テレビの橋下君をみて、あれは彼の本当の姿じゃないと話していた。

テレビの記者会見で、記者の質問が終わるか終わらないうちに、「はい!はい!」とかぶせるように言う彼を見ると、 そうやって相手を威圧しながら、自分の不安を打ち消そうとしているのだろうなと思う。 山ほどの記者を相手に、毎日、何十分も質問に答えるエネルギーは並大抵のものではない。 ちょっとした一言が命取りになるのが政治家だ。名古屋の河村市長のように。

橋下君のツイッターでのつぶやきは、いつも攻撃的だ。 いまのターゲットは学者たちだろう。 
「自称インテリ」と揶揄し、学者は現場を知らない、机上の空論、とこき下ろす。容赦ない。
だけど、これらの言いぶりは彼らしくない。 彼は目上の人には敬意をはらう。ジジゴロシと言われるほどに。 だから堺屋太一のような老人も彼を応援するために老骨にムチを打つ。 思想家の内田樹氏のこともツイッターではこきおろしていたが、たぶん二人で会えば意気投合する、と思う。
 彼は自分がインスパイアされる人を、ことのほか大事にするからだ。

でもオープンな場で問われれば、こき下ろすしかない。 橋下徹はインテリに媚びへつらってはいけない。なんだ、あいつも権威には弱いのか、と言われて人心が離れることを、彼は最も恐れている。虚勢を張るしかない。

しかし、それは彼の本当の姿ではない。

いちいち学者批判をしなくていいのに、とも思う。
でも、彼は不安なのだ。学者たちに指摘されることが。 自分のやっていることは、本当に正しいのだろうかと、常に不安を感じているのだ。 だって、個人で背負うには、あまりにも大きな期待を担わされているから。

だから必死で防戦する。 「所詮インテリは・・・」といってこき下ろし、自分の優位性を演出しようとする。 そうしないと耐えられないのだ。 感情を抑制できる彼にしても、いまのバッシングはあまりにも激しい。 俺は間違ってない、悪いのは理屈ばかりこねくり回す学者どもだ!


ツイッターでの悪口は、精神のバランスを保つための呪詛の言葉なのだ。


2012年2月20日月曜日

サンクチュアリと橋下徹

 街頭演説で、男は街宣車の上から有権者に呼びかけた。


 「選挙は戦いだ。一票という武器を持ったあななたちの戦いなんだ」


 大阪市の橋下徹市長の演説の一節のようにも聞こえるけど、これは浅見千秋という国会議員の演説である。といっても、池上遼一作画、史村翔原作の漫画「サンクチュアリ」の主人公。架空の人物だ。


 1990年代に連載されたこの青年漫画は、民自党の長期政権による政治腐敗を、カンボジアの戦乱で家族を失った二人の男が改革するフィクションである。
 もう一人の主人公、北条彰が暴力団の総長になり、裏社会から浅見を支える。
 読み終えたとき、私は感動して泣いた。


 それはともかく、現実の社会で「有権者の責任」を堂々と訴える政治家はまれだ。
 というか、私自身は聞いたことがない。
 大切な一票をくれる有権者に嫌われたら大変だから。
 「あなたたちの責任ですよ」なんて誰も言いたくない。


 でも、橋下市長は知事のときから一貫してそう言い続けている。
 批判の多い政策を決めるときも、「僕を選んだ有権者の責任」と言ってのける。
 それでも、「うっせえ、なに言ってんだ」と批判されない。


 なぜか。


 橋下市長は、有権者に「そうか、そうだったのか」と気付かせることが上手だ。


 首長が政策を決めているという当たり前のこともそうだし、教育委員会があんまり機能していなかったということもそう。大阪市役所は職員の労働組合が力を持っていたということも、彼が教えてくれた(多くの新聞記者たちも書いてきたけれど)。
 自治体の首長という責任ある立場の人が、本音ベースで政治を語ってしまう。
 だからこそ、「変えましょう」という言葉に力がある。


 彼は政治の素人だった。
 それが知事になって大阪府庁に入り、政治と行政の現場に入ったとき、「これ、おかしくね?」という事柄につぎつぎとぶちあたった。
 ふつうなら「ま、そういうものです、知事」と幹部職員にたしなめられて終わりだ。
 だが、彼は「それはおかしい」と言いまくった。
 当然、素人である有権者の共感を呼んだ。


 で、有権者責任論。
 これも当たり前のことを言っているにすぎない。


 「今の政治のていたらくは、あなたたちの責任なんだ」
 と彼は言っているのである。
 だって、本当のことだから。


 知事や市長にそう言われて、有権者は「ふむ、たしかにそうだ」と思う。
 だって、本当のことだから。
 そして彼は、「一緒に政治をよくしていきましょうよ」と、いざなう。
 有権者は「そうだな、そうしようか」となる。
 立場のある人が本音で語ることの効果を、彼は思うままに活用しているのだ。


 ちなみに、サンクチュアリの浅見千秋は、物語のラストに首相公選制で首相に選ばれる。
 これもまた、橋下市長の描くゴールと同じ。
 と私はみている。

2012年2月18日土曜日

橋下徹とダース・ベイダー

部屋のテレビで映画「スターウォーズ ジェダイの帰還」を観ながら、ふと大阪の橋下政治を考えた。

皇帝はルーク・スカイウォーカーに言う。「敵意をパワーとして利用するのだ。憎しみに身を任せろ」。
ダース・ベイダーも重ねて言う。「ダークサイドに身を投じろ。それしか仲間を救う道はない」。

皇帝は帝国を統治する。非常時に勇ましい弁舌で議会を取り込み、大権を手に入れて銀河系をまとめ上げる。
だけど、統治下に入ろうとしない共和国には容赦しなかった。圧倒殲滅しようとした。

で、橋下政治。敵をつくり、憎しみに沸く世論をエネルギーにしながら、相手を殲滅していく。例えば市役所の職員労組。

批判されるだけのことを労組がしてきたのは間違いない。ざまあみろ、と思う市民が多いのもうなずける。
でも、そうした負の感情に裏打ちされた政治に、どこか不安を覚える。

じゃあ、橋下政治は良くないのかと問われれば、いや悪くないです、と答えるしかない。だって、それ以上に今までの政治が頼りなかったから。
ただ、パルパティーン議長は銀河系の混乱の中で大権を得ていった。そして帝国の皇帝になる。

橋下政治。どこか、これでいいのかなと思ってしまう。最近、橋下市長を持ち上げる記事ばかりの新聞やテレビを見るにつけ、なんか気味が悪い。

政治の可視化と橋下徹

テレビニュースや新聞記事を読むと、「橋下徹市長は○○日、△△することを決めた」という書き出しが目立つ。これまでは「大阪市は○○日、・・・」というのが一般的だった。


「誰が」というのはニュースで重要な情報だ。なぜ「大阪市」が「橋下徹市長」になったのか。
それは、意思決定した人間が誰か、はっきりしているからだ。


大阪市に限らず、自治体の首長は最終決定権を持っている。だからこそ、選挙で選ばれる。
でも、これまではそこがあいまい報じられてきた。あたかも組織としての「大阪市」が決めたように伝えられてきた。そんははずはないのに。


国政も同じだ。「政府は」とか「厚生労働省は」というように組織の名前で語られてきた。それが慣習だった。NHKはもっとひどい。「厚生労働省が○○することに、なりました」という。「なりました」というのは、「自然にそうなりました」という表現だ。誰も責任を負わない。さすが国営。


ただ、これまでは「報じていなかった」だけで、従来から首長は最終決定をしてきた。橋下市長の前の平松市長もそうだ。さまざまな政治的な思惑を持ちながら、首長として意思決定をしてきた。
見えないところでやっていたことが、見えるようになっただけのことである。


橋下市長はなにかと交渉事を公開する。それが自分にとって議論を有利に進める方法だと考えているからだ。


すべての交渉事がテレビカメラの前で行われることがいいのかどうかは、わからない。橋下市長だって、非公開の交渉や密室談合はいくらでもある。


ただ、教育委員会だったり、労働組合だったり、いろんな人たちと交渉をしながら行政の方向性を決めていく。その当たり前のことを、有権者にわかりやすく示したことはいいことだ。だからこそ、政策の善し悪しや、決め方の善し悪しを論じることができる。

2012年2月15日水曜日

おかんと民意


橋下市長がかつて大阪府知事になったばかりのころ、大阪府庁の幹部職員にあれこれ指示していて、逆に職員から意見されたことがある。そのとき、彼はこう言い放った。


「あなたが183万票とってから、言ってください」


ひどい言い方だなーと当時は思った。
ただ、いまは思う。たぶんそれが精いっぱいの反論ではなかったか。


タレント弁護士から知事になった彼にとって、膨大な情報と経験を持つ役人はまともに太刀打ちできない相手だった。そんなとき、唯一のよすがは「民意」だった。


彼の発言をみると、「民意」を出すときは論理的に説得仕切れない事柄が多い。
教育の問題や大阪都構想など、「これしかない」という明確な回答のない問題を決断するとき、彼は「民意」を持ち出す。


独善的な言い方にも聞こえるが、重要な政策決定をするときの彼の不安さの裏打ちでもあるようにも思う。橋下市長を「傲慢だ」と片付けるのは、彼を理解する助けにならない。そんな人間がこれだけ有権者に支持されるのは、「有権者は愚かだ」というほかに説明がつかないからだ。






橋下市長はかつて、「おかん」を持ち出すことがあった。
「おかんに怒られまして」といった具合に、問題の収束をはかる。
たとえば、朝日新聞批判。


社説で「弁護士資格を返上しては」と書かれたことに激怒し、一時は「廃刊にすべき」とまで言い放った。奈良県の総務部長が、産経新聞の不買運動をフェイスブックに書いて陳謝したのとはわけが違う。知事という地方自治体の長が新聞社の廃刊まで迫ったのだ。


だが、結局は数日後に発言をやめることになった。そのときの言い訳が、「うちは朝日新聞で食わせてもらっていて(両親は販売の仕事をしていた)、母親から怒られました」というものだった。


論理的に「廃刊」の発言を引っ込めようと思ったら、「発言を取り消します」という、よくある政治家の言い訳と同じになってしまう。そこで持ち出したのが「おかん」という非論理的な理由だった。笑いにして、ごまかしたのである。
これをやられると、論理的な反論はしにくい。「おかんとは、何事だ!」と朝日新聞がいきりたっても、読者は引くだけである。「もう謝ってるんやから、許してやり」ということになる。






「民意」と「おかん」
いずれも橋下市長にとって議論を制する殺し文句であることに、違いはない。