2012年3月23日金曜日

卒業式に出てみました

子どもの小学校の卒業式に出た。
開式の言葉に続いて「君が代斉唱」があった。
起立しない教員もいるのかな~と思ってキョロキョロしたが、教員も児童も保護者もみな立ち上がって無事に歌い終えた。

そこで思ったのだが、橋下君が君が代の起立斉唱にあれだけこだわるのは、自分の子どもの卒業式で嫌な思いをしたことがあるからではないか。

彼は3男4女の父親だ。
日ごろ、あれだけ論理立てて物事を説明しようとする彼が、子どものことになると乱れる。
昨秋の大阪市長選のとき、週刊文春や週刊新潮に自分の出自のことを書かれたことがあった。
彼は「バカ文春、バカ新潮」と罵詈雑言を浴びせかけて猛反撃したが、ツイッターでつぶやいた次の一文が気になった。

子供は親を選べない。僕の子供も不幸極まりない。中学の子供2人には先日話した。子供は、そんなの関係ないやん!と言ってくれたが、その方がつらい。文句を言ってくれた方が楽だった。

うがった見方をすれば、子どもをネタに同情を集めていると見ることもできる。
でも、「文句を言ってくれた方が楽だった」というのは、よくわかる。
親のもたらした境遇に耐えている子どもの姿を見るのは、とてもつらいものだ。
めずらしく本音を漏らしたのだと思った。

知事時代にはこんなこともあった。
サッカーのワールドカップで活躍した日本代表の遠藤保仁選手が大阪府庁で表彰された際、知事室に自分の子どもを呼んでサインをしてもらった。
このことを「公私混同ではないか」と記者会見で指摘されると、「知事ファミリーとして当然の振る舞い。僕の子どもは一般家庭とは違う制限を受けている」と反論し、「ほかの子どもと比べて不公平ではないか」と追及されると、「その子どものお父さんに知事になってもらうしかない」と開き直った。

あまりの暴論に批判も多かったが、感情をむき出しにしたのはやはり子どもが批判対象になったからではないか、と思った。

余談だけど、かつて朝日新聞に対して「廃刊したらどうか」と猛然と批判を浴びせたときがあった。
きっかけは、山口県光市の母子殺害事件を巡る橋下君のテレビ発言について、朝日新聞の社説が「弁護士資格を返上しては」と書いたことだった。
このときも、ぶら下がりで「僕の弁護士事務所に勤める事務員はどうなってもいいってことなんでしょうかね」と言っていたのが気になった。身内のことに思いを巡らした反発だったのかと想像した。

卒業式に話題を戻すと、たしかに一生に一度の子どもの晴れ舞台で、自分の主義主張のために場を乱す先生がいたら、親としては許せないと思う(もちろん、そう思わない親もいるだろうけど)。
それほど、子どもたちが愛おしくなる式典だ。

もし、橋下君の子どもの卒業式でそのようなことがあったとしたら、その恨みを「君が代条例」で晴らそうとしたとしても不思議ではない。公務員に対する彼のルサンチマンは尋常ではないのだから。
条例が起立斉唱を義務づけているのは教職員だけで、子どもたちに強制するものではないし。

その一方で、教頭の口元チェックにおびえる先生を見て、子どもたちが悲しい思いをすることがないよう心から願う。
最近になって、橋下君が「嫌だったら卒業式を欠席するのも大人の知恵」と教職員に逃げ道を示したのは、そうした子どもたちへの配慮と思いたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿