2012年3月30日金曜日

橋下政治の二面性

橋下君は大阪府知事のころから「二つの顔」を使い分けてきた。
有権者の代表としての顔と、権力者としての顔だ。

公務員の給与削減や外郭団体の統廃合などのコストカットをするときは、有権者の代表になる。いわば「スクラップ系」。
「役人はこんなに高い給料をもらってるんですよ!」
「外郭団体はこんなに無駄なことをしてるんですよ!」
有権者に向かってそう叫びながら、役所内の反発を抑えてきた。

大阪都構想や君が代条例などの新たな施策に取り組むときは、大阪市や大阪維新の会の顔になる。
選挙で認められた首長や政治団体の代表として、権力を行使する。「ビルド系」とでも言おうか。
スクラップ系ほどわかりやすくないため、有権者の間でも議論が分かれることが多い。
そうしたときは「嫌だったら次の選挙で落とせばいい」と強弁するのが常だ。

大阪市長選で勝ったのは「スクラップ系」に支持が集まったからだと思う。
大阪市役所の職員が他の政令指定市と比べて多いことや、労働組合が強大な権力を持っていることをアピールし、それらを「スクラップ」することを約束した。
反対陣営からは「大阪都ってどうなるの?できるの?」というような「ビルド系」への批判が多かったが、常識的に考えて大阪市や大阪府を「大阪都」にしてほしくて投票した人が多かったとは思えない。
「とにかく役人たちをやっつけてよ、橋下さん」というスクラップを待望する気分ではなかったか。

で、今回の捏造リスト問題。
この前の選挙で橋下君と争った前大阪市長を支援する市職員リストが見つかったというのが発端だ。リストには職員労組の名前が書かれていた。
それをもとに、「大阪維新の会」の市議が議会で職員労組を追及したら、実はリストが捏造されたものだったことが後にわかった。
作成したのは大阪市の非常勤職員で、自分で維新の会の議員に持ち込んだそうだ。
以前、民主党の偽メール問題というのがあったけど、構図はあれと似ている。
橋下君は大阪維新の会の代表だ。偽物の証拠で労組を追及したことが発覚したのだから、常識的には「ごめんなさい」しかない。

でも、彼は違った。
「議会の追及をきっかけに僕が交通局に調査を指示して、捏造問題が明らかになった。ある意味、組合のぬれぎぬをはらしたわけだから、まったく問題ない」

すごい論法。
大阪市長として、議会から示されたリストの真贋を部下に調べさせ、組合への疑いを晴らした。
僕が調査を指示しなかったら、濡れ衣のままだったんだよ。
どこが悪い?

橋下君が「大阪市長の顔」だけだったら、これで通る。
でも、彼は「大阪維新の会の顔」でもある。
議会で労組を追及したのは大阪維新の会の市議だ。
市議が追及しなければ、職員労組が濡れ衣を着せられることもなかった。

「スクラップ」が支持されるのは、既成の勢力が溜めこんできた「あか」や「うみ」を絞り出すからだ。
デトックスのような爽快感。
でも、大阪維新の会は橋下君が新たにつくった政治団体だ。「あか」や「うみ」はこれからたまっていく。「ビルド」の責任はすべて橋下君が負う。

この二つの顔を使い分けながらバランスをとっているのが橋下政治の真骨頂だと思う。

有権者の議論が分かれる「ビルド型の政治」への批判を抑えるためには、常に「スクラップ型の政治」の爽快感を有権者に示しておかないといけない。
そのためには常にスクラップの対象を見つけておく必要がある。
でないとバランスが保てない。

橋下君はいま、関西電力の原発再稼働への反対を強めている。
いわばスクラップ型の政治。
その爽快感が、君が代斉唱の口元チェックや捏造リストなどのビルド型政治のマイナスポイントを少なからず相殺しているのは、間違いない。

2012年3月25日日曜日

維新の会政治塾とストーム・トルーパー

大阪維新の会の政治塾の開講式をみて、スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃(2002年公開)を思い出した。

銀河系共和国がダース・ベイダーの帝国に変質する前の時代を描いたこの物語のハイライトは、共和国が組織したクローン軍の登場シーンだ。

賞金稼ぎのジャンゴ・フェットの遺伝子を受け継ぐクローン軍は、数百、数千もの歩兵隊が一斉に右向け右をして銃を構える。
スターウォーズファンにとって驚きなのが、このクローン軍が、エピソード4以降でダース・ベイダーの手先となって共和国を攻撃することになるストーム・トルーパーの原型だからだ。
共和国を攻撃する歩兵隊が、実は自分たちの組織したクローン軍だったという話。

で、大阪維新の会の政治塾。
異様に感じたのは、大阪国際会議場に集まった2千人もの受講生が一斉に君が代を斉唱する場面だ。まるでストーム・トルーパーの右向け右。
そんなに意思統一をアピールしたいのかな。


大阪維新の会は橋下君抜きにはあり得ない。
幹事長の松井一郎知事でも、堺屋太一でもなく、橋下徹がいるから皆集まった。
具体的な政策に共鳴して集まったわけでもない。塾生の募集は大阪維新の会の政策集である船中八策の原案が公表される前のことだ。
まして、大阪市と大阪府を統合して大阪都をつくるためだけに、これだけの人たちが全国各地から集まるわけがない。

橋下君による橋下君のための集団。

例えば民主党は、小沢一郎が政権交代の原動力だったとしても、小沢一郎抜きに存在している(次の衆院選で政権から滑り落ちるかもしれないけど)。自民党との対立軸として、大きな政府という旗印もある。労組という支持母体の属性もある。
でも、大阪維新の会はどうか。橋下君がいなくなった場合、寄って立つ共通基盤はあるのか。
政策と言っても独自の政治哲学があるようには見えない。小泉首相に似ている、と言われているぐらいだから。
橋下君が自ら「バブル」と自嘲しているように、支持組織もあってないようなものだ。

とすると、この政治塾に集まった人たちは、何をしようとしているのだろう。
国を変えたい、なんていまどき誰でも思っている。
社会貢献なんて、それぞれの仕事や生活の中でもできる。
興味本位の人も多いようだけど、橋下君の威光を借りてあわよくば国会議員になりたい、ということではないのか。

その野心自体を否定するわけではない。そうやってのし上がって行く人生もあるだろう。
気持ち悪いのは、彼らが橋下支持という一点において存在しているということだ。
橋下君の政策に反対したら、「去ってもらって結構です」と言われるのは間違いない。
そうなったら、いくら「維新」と自称してもどうにもならない。自民党や民主党からの鞍替えでないかぎり、支持組織なんてないわけだし。
まるで橋下クローン軍。

スターウォーズのクローン軍は当初、共和国の機動歩兵隊として組織された。
ところが、共和国の帝国化をはかるパルパティーン皇帝(ダース・ベイダーの師匠)が発した「オーダー66」という命令によって一斉に寝返り、共和国民を攻撃するようになる。
この命令には理由がない。
ただ、寝返りを命じるだけ。
クローン軍は命令されたから従うだけ。

橋下君の発するオーダーがどんなものかはわからない。
でも、彼の一言に従うことでしか存在し得ない勢力が誕生したことに、不安を覚える。

2012年3月23日金曜日

卒業式に出てみました

子どもの小学校の卒業式に出た。
開式の言葉に続いて「君が代斉唱」があった。
起立しない教員もいるのかな~と思ってキョロキョロしたが、教員も児童も保護者もみな立ち上がって無事に歌い終えた。

そこで思ったのだが、橋下君が君が代の起立斉唱にあれだけこだわるのは、自分の子どもの卒業式で嫌な思いをしたことがあるからではないか。

彼は3男4女の父親だ。
日ごろ、あれだけ論理立てて物事を説明しようとする彼が、子どものことになると乱れる。
昨秋の大阪市長選のとき、週刊文春や週刊新潮に自分の出自のことを書かれたことがあった。
彼は「バカ文春、バカ新潮」と罵詈雑言を浴びせかけて猛反撃したが、ツイッターでつぶやいた次の一文が気になった。

子供は親を選べない。僕の子供も不幸極まりない。中学の子供2人には先日話した。子供は、そんなの関係ないやん!と言ってくれたが、その方がつらい。文句を言ってくれた方が楽だった。

うがった見方をすれば、子どもをネタに同情を集めていると見ることもできる。
でも、「文句を言ってくれた方が楽だった」というのは、よくわかる。
親のもたらした境遇に耐えている子どもの姿を見るのは、とてもつらいものだ。
めずらしく本音を漏らしたのだと思った。

知事時代にはこんなこともあった。
サッカーのワールドカップで活躍した日本代表の遠藤保仁選手が大阪府庁で表彰された際、知事室に自分の子どもを呼んでサインをしてもらった。
このことを「公私混同ではないか」と記者会見で指摘されると、「知事ファミリーとして当然の振る舞い。僕の子どもは一般家庭とは違う制限を受けている」と反論し、「ほかの子どもと比べて不公平ではないか」と追及されると、「その子どものお父さんに知事になってもらうしかない」と開き直った。

あまりの暴論に批判も多かったが、感情をむき出しにしたのはやはり子どもが批判対象になったからではないか、と思った。

余談だけど、かつて朝日新聞に対して「廃刊したらどうか」と猛然と批判を浴びせたときがあった。
きっかけは、山口県光市の母子殺害事件を巡る橋下君のテレビ発言について、朝日新聞の社説が「弁護士資格を返上しては」と書いたことだった。
このときも、ぶら下がりで「僕の弁護士事務所に勤める事務員はどうなってもいいってことなんでしょうかね」と言っていたのが気になった。身内のことに思いを巡らした反発だったのかと想像した。

卒業式に話題を戻すと、たしかに一生に一度の子どもの晴れ舞台で、自分の主義主張のために場を乱す先生がいたら、親としては許せないと思う(もちろん、そう思わない親もいるだろうけど)。
それほど、子どもたちが愛おしくなる式典だ。

もし、橋下君の子どもの卒業式でそのようなことがあったとしたら、その恨みを「君が代条例」で晴らそうとしたとしても不思議ではない。公務員に対する彼のルサンチマンは尋常ではないのだから。
条例が起立斉唱を義務づけているのは教職員だけで、子どもたちに強制するものではないし。

その一方で、教頭の口元チェックにおびえる先生を見て、子どもたちが悲しい思いをすることがないよう心から願う。
最近になって、橋下君が「嫌だったら卒業式を欠席するのも大人の知恵」と教職員に逃げ道を示したのは、そうした子どもたちへの配慮と思いたい。

2012年3月21日水曜日

独裁新聞

読売新聞の渡辺恒雄氏が橋下徹市長について「ヒトラーを想起させる」と文芸春秋に書いたことに、橋下市長がツイッターで反論している。

「渡辺氏の方が読売新聞社だけでなく政界も財界も野球界も牛耳る堂々たる独裁じゃないですかね」

選挙で落とされる政治家と比べれば、民間企業の経営者ははるかに独裁的だ。
一握りの役員たちが方針を決め、社員たちはそれに従うしかない。
経営がうまくいかなくても、「いまが正念場」とか言って2期、3期と続投できる。
不祥事があっても、「職務を全うすることが私の責務」と言えばいい。
労組ががんばっても、社長を交代させる権限はない。
橋下君が市役所の職員組合のことを「社長を決めることができる労組」と批判したのはこのためだ。

もし、新聞社の社長が選挙で選ばれることになったら、どうなるだろう。
有権者は記者と読者。

現職のA候補者は紙面の充実を公約に掲げた。
解説面を増やしたり、国際ニュースをもっと充実させたり、ネット配信も強化する。
記者の支持は集めるだろう。社内的にも紙面改革に力が入り、記者は活気づきそうだ。

新顔のB候補者は購読料の値下げを公約に掲げた。
財源として社員のリストラを断行し、給与カットや早期退職を進める。
記者は嫌がるだろうけど、読者の支持は集めそうだ。

A候補者を支持する記者たちは、読者に紙面をアピールするためにいい仕事をするようになる。
B候補者が社長になれば給料を減らされるから、みな必死だ。
野球や音楽会の主催イベントもたくさんやって、読者の支持を広げる。
宗教新聞の印刷も請け負って、組織票も集める。

でも、B候補者がコストカットに加え、大胆な紙面改革案を示したらどうだろう。
「夕刊を廃止し、朝刊だけにします」
「地方支局は廃止し、東京と大阪の都市部に人材を集中させます」
「社外筆者を登用し、内田樹氏やマイケル・サンデル氏に論説委員の就任を要請します」

眉をひそめる記者もいるかもしれないが、読者はB候補者を選ぶような気がする。

なぜ、現実の新聞社ではこうしたドラスティックな改革が進まないのか。
独裁的な経営で、読者の民意が反映されにくいからか。

各新聞社はいま、部数減にあえいでいる。
それでも、思い切った改革に踏み切る新聞社は見あたらない。
まだ大丈夫だと思っているからか。
失敗のリスクを犯すほどの危機は迫っていないと考えているからか。

でも、ある新聞社が大胆な紙面改革を単独で先行したらどうなるか。
「来月から購読料を半額にします」
「主筆は池上彰さんです」

新聞の停滞の一因が、その「横並び体質」にあるのは間違いない。
周囲の様子を見すぎて、自分から動けない。
他社見て読者見ず。
むしろ独裁の逆だ。

橋下君の言葉を借りれば

今の日本の新聞社で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力ですよ。

ということか。
じゃあナベツネでいいってことか。

2012年3月20日火曜日

橋下徹の「正義」の話をしよう

NHKでマイケル・サンデルの究極の選択という番組を見ていて、もし橋下徹市長がテーマになったら、どうなるだろうと想像してみた。

ある高校の卒業式で、君が代斉唱の時間になった。
大阪府では君が代は起立して斉唱することが教員に義務づけられている。
教育委員会が職務命令を出し、条例でも「教職員は起立により斉唱」と定めているからだ。
これを確認するため、校長の指示で教頭が教職員の口元の動きをチェックした。
教育委員会が起立斉唱の状況報告を各学校に求めていたからだ。
校長は口元が動いていなかった3人を校長室に呼び、斉唱していなかったか確認した。
こうした行為は正しいだろうか。

クニオ、君はどう思う?

――僕は、間違ってると思います。

どうして?

――だって、卒業式は監視する場ではなく、卒業する生徒を送り出す場だからです。校長が先生を監視しているということを生徒たちが知ったら、せっかくの記念日が台無しになってしまいます。

いいだろう。トオル、君の意見も聞かせてほしい。

――私は問題ないと思います。校長は職務命令がきちんと守られているか教育委員会に報告する義務があります。もし、校長が教頭に監視させなかったら、命令が守られているかどうかわかりません。すると、教職員も命令を守らなくなる可能性があります。

命令を守らせるためには、監視が必要だということだね。
リカはこのことについて、どう考える?

――職務命令を守らせるには、監視しかないのかな。それは、あまりにも人を信用しない見方だと思います。それに・・・。

それに、なんだい?

――守るべき命令自体に問題があるかもしれません。君が代を起立して斉唱するというのは、本当に守るべき命令なんでしょうか。正しいのなら、守るように説得することができると思います。でも、もし正しい命令じゃないとしたら。守らない教職員の方が正しいということになりませんか。

トオル、何か反論はあるかい。

――命令が正しいかどうかは、問題ではないと思います。実際に命令は出されており、校長や教頭には管理職としてそれを教職員に守らせる義務があります。そうした義務を無視して、命令が正しいかどうかを管理職が勝手に判断していたら、組織の規律が守られなくなってしまいます。そうした自由までは認められないと思います。

誰か意見のある人は?タカシ、君はどう思う?

――規律を守ることが最上の目的であれば、トオルの言う通りだと思います。でも、そうでしょうか。規律を守ることによって失われるものはないのでしょうか。例えば、その卒業式に出た生徒たちは、監視した教頭やそれを命じた校長に失望するかもしれない。それは幸せなことでしょうか。

いいだろう。
タカシの意見は、生徒たちの幸せの度合いを基準に、今回の監視問題を判断してみようという提案だ。ベンサムの「最大多数の最大幸福」という功利主義の観点からみた場合、口元監視は有効な手段だろうか。
クニオ、君の意見はどうだい?

――私は功利主義の視点からみても、口元監視は社会全体の幸福を最大化しないと思います。だって、今回の問題が話題になってから、反対意見が数多く出ています。監視はやり過ぎだ、校長を擁護する橋下市長は間違っている、と。君が代のような意見の分かれる問題について、一方の権利を制限するようなやり方は、幸福の最大化にはつながらないと思います。ほどほどにしておけば、歌いたい人も歌いたくない人も幸せになったはずです。

トオル、君の意見を聞かせてほしい。

――僕は最大幸福につながると思います。橋下市長は口元監視を正しいと擁護しています。そして、いまの社会ではその判断を支持する人たちが多いと思います。だって、橋下市長はそうした主張で選挙を勝ち抜いてきたわけですから。いままでの卒業式では、そうしたことをしてこなかった。でも、起立斉唱しない教職員たちによって、卒業式が乱れていたのは事実です。それを不満に思っていた人たちが多かったからこそ、橋下市長が当選したとも言えます。ならば、乱れていた状態の卒業式より、規律を守らせようとする卒業式の方が、いまの社会全体でみれば幸福になる人は多いはずです。反論している人たちはむしろ少数で、少数の幸福を優先することは幸福の最大化につながらないと思います。それが民主主義です。



・・・・・NHKがこんな企画をやったら面白いと思うんだけどな。

2012年3月17日土曜日

それってこういうことだよね

君が代斉唱の口元チェック騒動で、橋下徹市長はますます先鋭化しているようにみえる。
きょうのツイッターでも、
「監視が悪いというなら、世の中、行政など成り立たない。行政はルールをしっかり守っていく、守らせていくことが使命である」
と気を吐いていた。

これほど「監視」「監視」と叫びながら有権者から支持される市長って、過去にいたのかな。
しかも、監視対象は北朝鮮の工作員や暴力団の組員ではなく、学校の先生。
橋下君は「有権者の多くは、ルール違反の教員を非難している」と強気だけど、
監視対象になったのは、ちゃんと歌った先生もひっくるめて全員だ。

ルール違反者を見つけるためには、ルールを守っている人もひっくるめて監視しないといけない。
大多数の人たちが、ルールを守りながら不当に「疑いの目」をかけられることになる。
橋下君を支持する人たちだって、「俺たちのことも監視してください!」と言うつもりはないだろう。
(そうだったら怖いけど)。

たとえば橋下君が将来、「大阪駅周辺の路上喫煙禁止を徹底させます」と宣言したら、大阪駅の周辺を歩く人たちすべてが監視対象だ。
タバコを吸わない人たちだって同じ。
監視員みたいな役人から、「こいつもポケットにタバコをしのばせて、路上で吸おうと思ってるんじゃないか」という目でじろじろ見られる。
ポケットからスマホを出そうとしたら、監視員の目がカッと見開く、なんてことになりかねない。

それにしても、こうしたことを橋下君にまともにぶつけても、「じゃあルール違反の教員を見逃していいんですか」と言われるだけ。
どうしたらいいんだろう。

内田樹先生が「最終講義」のなかで、こんなことを言っていた。

難しい学術的な概念や仮説を、わかりやすい日常的なたとえ話に落とし込んで説明することが僕は得意です。「これって、要するにあれのことだよね」という連想によって、似ても似つかぬものの間に思いがけないパターンの類似性を見いだすのは僕の数少ない特技です。

きっと、これなんじゃないかなと思った。
「橋下君がやっていることって、要するにこういうことだよ」とわかりやすい例示を考える。

小田嶋隆さんが今日のツイッターで
「橋下さんの支持層を右翼だと言う人たちがいますが、私は、彼らの既得権益者やインテリ層に対する憎しみを見ていて、文化大革命の折の紅衛兵やポル・ポトのクメール・ルージュを思い出します」
と書いているのを見て、なるほど!と思った。

橋下君はよく、競争をあおる新自由主義的な人にみられるけど、そうしたリバタリアンではなく、むしろ社会主義的な人なんじゃないかと思う。やたらと「統治」とか「監視」とか言ってるし。
そういえば、歴史学者の與那覇潤さんも朝日新聞のインタビューで「橋下徹さんの政治が賛否両論を呼ぶのも、いわば中国的な民主主義だからでしょう」と言っていた。


そんなかみ砕き方をしていくしか、いまの橋下君の勢いを止めることはできないんじゃないかと思う。

2012年3月16日金曜日

君が代条例とナチスの反タバコ運動

橋下君がツイッターで君が代斉唱問題について論じている。

ことの発端は、大阪府立高校の卒業式で、教員がちゃんと君が代を斉唱しているかどうか、教頭が教員の口元の動きをチェックし、動いていなかった3人を校長が校長室に呼んだという問題だ。
橋下市長は「これが服務規律を徹底するマネジメント」と校長の対応を絶賛した。
だが、賛否両論が渦巻いている。

橋下君の主張はこうだ。

君が代の起立斉唱を命じ、その状況報告を求めたのは教育委員会だ。
口元をチェックしないで、どうやって斉唱を確認するのか。
校長は間違っていない。おかしいとすれば、それを命じた教育委員会だ。
教育委員会の命令を守らせるために、全国初の君が代条例を制定した。

おっしゃる通り。
理屈としては正しい。
筋が通っている。

でも、「そこまでやるか」という気持ちの悪さが残る。

たとえば軽犯罪法は
「街路でタンつばを吐き、または小便をした者は、拘留または科料に処する」
と定めている。
サラリーマンが道ばたでカーッペッとやったとき、建物の陰でこれを監視していた警察官がつかつかとやってきて、「軽犯罪法違反です。署までご同行願います」とやったらどうだろう。

もし橋下君が首相になっていたら、ぶら下がり取材でこう言うのだろう。

タンつばを禁じ、拘留に処すると決めているのは軽犯罪法だ。
街頭を歩く人を監視しないで、どうやって違法行為を確認するのか。
警察官は間違っていない。
おかしいとすれば、軽犯罪法を決めた国会であり、国会議員を選んだ国民だ。

おっしゃる通り。
理屈としては正しい。
でも、これでいいのか。

軽犯罪法だって、第四条で「この法律の適用にあたっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意」することを求めている。
要は運用の問題。さじ加減ってことだ。

橋下君の組織マネジメントの厳格さで思い出したことがある。

大阪府知事になったばかりのころ、最初に手がけたのが大阪府庁舎の全面禁煙だった。
喫煙室を撤廃するだけでなく、喫煙のための休息時間を定めた条例も改正した。
当然職員からは不満の声があがったが、勤務時間にタバコを吸うことは胸を張って主張できる権利ではない。「勤務時間は職務に専念せよ」というのはもっともだ。

ただ、ある野党議員がこうつぶやいた。
「ヒトラーも最初にやったのは禁煙運動だった」

本当?と思ってウィキペディアを調べたら、あった。
「ナチス・ドイツの反タバコ運動」
ドイツ人医師が初めて喫煙と肺がんの関連性を確認してから、ナチス・ドイツ政権が喫煙に対する反対運動を開始した、とある。これが近代における最初の禁煙キャンペーンと言われるそうだ。

国民の健康を守るため、肺がんになるタバコを禁じる。

理屈としては正しいのかもしれない。
でもなあ。そこまでやるか。

橋下君とナチス。

世間の不安感を裏打ちするようで、怖い。

2012年3月12日月曜日

橋下徹の3・11

大阪維新の会の橋下徹代表が「船中八策」の原案を発表した。国政進出に向けた政策集だ。

 大阪の朝日新聞では11日の朝刊一面で取り上げられたが、なぜか橋下君は「単なるレジュメ」と控えめで、「重要な日ですねと言われたが、重要な日ではない」とさえ述べたという。
しかも、彼にしては珍しく、記者会見やぶら下がり取材も拒否した、と朝日新聞・橋下番のツイートにあった。

 その理由を、国政を刺激したくないというような政治的な背景で読み解くこともできるのだろうけど、僕はあえて3・11が理由だったんじゃないかな、と考えた。

発表したのは前日の10日。でも新聞に載るのは11日。紙面は「あの日から一年」であふれてる。 もちろん、大きく取り上げられないという打算があったとの見方もできる。
でも、世の中の空気を読むことにとかく神経を研ぎ澄ませる彼のことだ。きっと、こう言われることを恐れたのではないか。

 こんな大切な日に、国政進出に向けた政策集を発表して、浮かれてんじゃねーぞ。

 何でこの日を発表の日にしたのだろう。彼にしてみれば痛い失敗だったと思う。いいかどうかは別にして、日本中がまるで喪に服するような一日だ。その日の朝に「橋下市長、政策集に自信」みたいな見出しの記事が載っては、反発をおぼえる人も少なくなかっただろう。

 質問したって真意は明かさないだろうけど、そう考えることにする。まるっきりトンチンカンな見立てかもしれないけど、そう思いたい。

2012年3月10日土曜日

橋下徹と在日米軍

橋下君が大阪府知事のころ、中国総領事のレセプションをドタキャンしたことがある。

新しく着任した駐大阪総領事のお披露目だったが、「家庭の事情」を理由に当日になって欠席を伝えた。だが実際には、レセプションが始まる時間になっても、橋下知事は大阪府庁にいた。しばらくして府庁を出たが、まっすぐ自宅に帰らず、自分の弁護士事務所に寄ってから帰宅した。レセプションに顔を出すことは可能だった。

なぜ橋下君はそのような態度を取ったのか。

彼は自分に敵対する権力や権威に過剰なほどのアレルギー反応を示す。
大阪府も大阪市も、行政権力である。そこに立ち向かうエネルギーのすさまじさは、いままで見せつけてきた通りだ。知事や市長という権力者になってからは、さらに大きな権力である政府を相手に闘争を繰り返している。


実はドタキャンの1週間ほど前、橋下知事は中国総領事とちょっとした問題を起こしていた。
橋下知事が台湾に出張する意向を示したことに、大阪府庁を訪れた中国総領事が苦言を呈していたのだ。レセプションのドタキャンは、その意趣返しとみられた。
(もっとも、本人は「何も問題ない」と否定し、その後、総領事と食事会をして関係を修復している)

一知事が中国政府の代表者に対して、いくら気に入らない態度を取られたからといって、ここまでするだろうか。相当な執念深さだ。

で、思う。

橋下君が首相になったら、きっと戦争の危機が生まれる。

しかも、米国と。

憲法9条でさえ、疑問を呈する彼だ。在日米軍という不条理をそのままにしておけるはずがない。
なぜ独立国に外国の軍隊がいるのか。
軍事力を背景に何かと無理強いをしてくる米国に、彼が我慢できるはずがない。

もちろん、勝算のないまま突っ込むようなマネはしない。
カギは中国だと思う。中国との関係を強化したうえで、米国と渡り合おうとする。
彼が心酔する小沢一郎だって中国重視だし。

すべて勝手な妄想だけど、もし当たったらすごい。
と思って、ブログに残すことにした。

2012年3月9日金曜日

「きれいごと」を嫌う理由

橋下市長が憲法9条発言で話題になっているという(朝日新聞3月9日朝刊)。

「東日本大震災のがれき処理を拒否するのは、自分の嫌なことはしないという憲法9条が原因だ」
ツイッターや記者のぶら下がりで述べたそうだ。

どうして、この二つが結びつくのか。

憲法9条が、その精神は素晴らしいものだとしても、現実と離れた部分があることに異論はないと思う。陸海空軍は保持しないというのに、自衛隊はあるわけだから。

橋下君が言いたいのは、こういうことだろう。

憲法9条で戦争の放棄って言ったって、自衛隊や在日米軍に自国の領土を守ってもらってるじゃねえか。それなのに「私たちは憲法9条で戦争の放棄をうたっています。戦争反対です」なんて言うのはきれいごとだ。現実を無視した「エゴ」だ。
「頑張ろう日本」「絆」と言いながら、被災地のがれき処理を拒否するのも「エゴ」だ。きれいごとばかり言いやがって。
「絆」というからには、リスクも共有しろ。それができないなら、絆なんて言うんじゃねえ。

こんな感じ(もちろん私の想像だけど)。

橋下君は、権利ばかり主張して義務を負わない人が嫌いだ。自分自身が苦労して(つまり義務を果たして)いまの立場にいるという自負が強いので、そうなるのだろう。
だから、労組は大嫌い。もともと労働者の権利を守るための組織だから仕方がない面はあるのだが、容赦しない。

リスクを負わない人たちも嫌い。象徴は公務員だ。
新聞の論説委員やテレビのコメンテーターに何かと文句をつけてくるのも、新聞やテレビという大組織を背景にモノを言ってくるのが気にくわないから。大企業の集まりの財界も好きじゃない。
逆に、スポーツ選手とか芸能人とか自分の腕一本で勝負している人たちには敬意を払う。やしきたかじんや紳助に心酔しているのも、そうした理由だと思う。

こうした視点から見ると、憲法9条とがれき処理の問題は同じカテゴリーに見えてくる。

2012年3月6日火曜日

橋下流、新聞経営法

橋下徹市長のツイッターは有名だけど、橋下市長の動向をツイートする「朝日新聞・橋下番」におもしろいつぶやきがあった。

記者から世論調査の高支持率の感想を問われ、橋下市長はこう言ったという。

「何がすごいかというと、民意にすりよると、民意は離れていくんですよ。民意に合わそう、合わそうと思うと離れていってしまう。だからといって無視しつづけるとそのまま離れていく」



たとえば、自民党末期の定額給付金。ばらまきと批判され、かえって支持を失った。
民主党も「コンクリートから人へ」という受けのよさそうなキャッチコピーを掲げたが、東日本大震災もあって腰砕けになった。


いつもそうなのだが、橋下君は自分を客観視しようと努めている。しかも、それを公言するから面白い。去年の市長選のときに「いまの政治にはある意味、独裁者が必要」という言葉が反対陣営から批判されたけど、あんな言葉は4年前の大阪府知事選の当選直後から言っていた。


「独裁者ですよ、僕は。38歳の僕のメッセージで方針が変わる。極めて危険」(2008年3月1日朝日新聞)
大阪府庁という大組織が、当選したばかりの若い知事の指示で大きく変わることへの驚きと不安を正直に語っていた。




閑話休題。



橋下市長の民意に対する認識は、そのまま新聞社にあてはまると思う。

いま新聞社はどこも部数減に悩んでいる。毎年10万単位の読者が離れていく。
まるで、支持率低迷に悩む民主党や自民党みたい。
部数減に対処するために、新聞社は人を減らしたり、経費を削減したりしているが、支出を減らしても、収入が増えなければ、いずれ倒産する。


どうしたら部数を伸ばせるか、または維持できるか。
そこで、橋下君のいう「民意」を「読者」に置き換えてみる。


「何がすごいかというと、読者にすりよると、読者は離れていくんですよ。読者に合わそう、合わそうと思うと離れていってしまう。だからといって無視しつづけるとそのまま離れていく」


すごい。その通りだと思う。


たとえば、新聞各紙は文字を大きくしている。以前と比べると、まるで小学生新聞のようだ。
高齢者が増えたから、そうした購読層に向けたサービスということだろうけど、そうした高齢読者にすり寄った結果、新聞としての情報量は落ちた。


政治に置き換えると、高齢者の年金、介護に税金をつぎこみ続け、若者の支持を失っている既成政党のようにみえる。橋下市長がこの世代間格差に目を付けて若年層にシフトした政策をとっているのは、若年層の支持を掘り起こす狙いがある。これまで投票率の低かった世代が選挙に行くようになり、自分に投票するようになれば、支持基盤は厚くなる。


イベント記事も「すり寄り」に近い。大きな大会やコンクールを主催して記事を載せると、参加者やその家族が新聞を読んでくれる。寺院の展覧会のように新聞社が宗教団体の企画を主催したり記事を載せたりするのも、その信徒が新聞を読んでくれるようになることを期待してのことだろう。
でも、こうした記事は関係者向けであって、それ以外の読者からするとあまり関心が持てない。やりすぎると、やはり読者は離れる。


いま橋下市長は公明党との関係を強めている。支持母体の創価学会の支援を望んでのことだろうが、あやうい選択だと思う。一歩間違えれば自民党と同じ轍を踏むことになる。だって、いずれ公明党の政策を飲まされるわけだから(定額給付金のように)。


何もしなければ部数は減る一方で、読者はそのまま離れていく。
大事なのは、新聞は何のためにあるのか、という原点だと思う。


部数を狙って記事を書くのではない。
といって部数を無視して商業新聞は成り立たない。
書いた記事が読者のためになり、結果として部数につながる記事ってないものか。


「非常に難しいが、民意は非常に大切というか、民主政治の原点だと思う」


橋下君のいう通りだ。


「非常に難しいが、読者は非常に大切というか、新聞の原点だと思う」

2012年3月4日日曜日

橋下君の「いいね!」

橋下君が知事になったばかりのころ、記者会見で「大阪府知事公館」の名前の話題になった。

知事として住むつもりはなく、それでは「知事公館」という名前はどうか、というような話だった。
出席していた新聞記者が
「では『大阪府公館』ならどうですか」
と橋下知事に問いかけた。
すると
「いいですね!」
その場で橋下知事が応じ、まもなく公館の門柱に「大阪府公館」の表札が掲げられた。

橋下君は人の話をよく聞く。
もともと行政に通じていたわけではないから、なにもかもが新鮮なのだろう。
その一方で、ルサンチマンとも言える役人不信があるものだから、
「どうしてそうなっているのか」という疑問に明快な答えがなかった場合、
「既得権益者がうまい汁をすっているに違いない」
という洞察がはたらき、仕組みを変えようとする。

いま橋下市長にはブレーンという人たちがたくさんいるようだけど、彼らはつまり、橋下君が求める「代案」を提示できる人たちだ。「いいですね!」と言われながら。
そうした代案が、新たな権益者を生むことになるのは想像に難くない。
税金の配分を受ける人や団体が、こっちからあっちへ移るだけだから。
でも、それこそが政治。そういう判断自体は政治家として当然のことだと思う。
あとは有権者がどう評価するか、ということだけ。
これは橋下君がつねづね言っていることだ。

ただ、橋下君の発言力が増すにしたがって、「いいですね!」と言われて自己実現を期待する人が増えてきているように思う。
例えば、みんなの党。
橋下君に「僕の考えと一緒です」と言ってもらって、陰り気味の人気を取り戻そうとしているようにしか見えない。
そういうあさましさを、橋下君はうまいこと利用する。
あさましい、といって切るのではなく、利用できるところまで利用する。
そうした打算を巧みにできるのは、政治家の資質の一つではあるのだろう。

でも、なんかそうしたあさましい人を見るにつけ、いやーな気分になる。
虎の威を借る狐というか。

マスコミもそうだ。
橋下君はメディアが指摘したことを受けて、政策に取り入れることがある。
批判を受けて改善するのは、正しい姿勢だと思う。
指摘する側も、時の権力者に「いいですね!」と言ってもらったら、悪い気はしない。

だからといって、橋下君にお追従して自己実現しようとしているようなキャスターや新聞記者をみると、いやーな気持ちになる。先生にこびる生徒みたいで。

「先生、○○君が授業中にお弁当を食べています!」
「先生、△△君が学校の帰り道に寄り道をしています!」

指摘としては正しいかもしれない。でも、人としてどうか。

報道機関は権力に近づきすぎると、批判勢力としての存在意義が薄れる。
あくまでも権力監視が第一だ。
橋下君に「批判ばかりで対案がない」といわれてもいい。
政策を示してその実現のために報道するなら、政党機関誌になりかねない。
維新の会でも自民党でも民主党でも公明党でも共産党でも、おかしいところを指摘する。
対案がないことを後ろめたく思うことはない。権力者の行動に対して、それをいさめる。
「批判だけですけど、それがなにか?」と開き直ればいいのだ。

先生にほめられたくて、仲間の告げ口をする学級委員長にはなりたくない。
こわい先生でも、やってることがおかしければ指摘する、勇気ある友だちでありたい。

2012年3月3日土曜日

原発事故と政治のデッドロック

思想家の内田樹氏が著書「原発と祈り」(メディアファクトリー)でこんなことを言っていた。

「電力会社側は『万が一の危険もない』って断言した手前、『万に一つの危険』に対して備えをすることができなくなる。自分で自分を手を縛ってしまう」
「反対派は、電力会社が安全性の基準を上げようとすると、その補正の動きを危険の兆候だと見なす」
「両方ともが無意識のうちに、事故が起きるほうこうに向かっているんだよ」

原発反対派が揚げ足を取ることに躍起になればなるほど、電力会社は揚げ足を取られまいとして、かえって原発の安全性を高められなくなるというアイロニー。

「とりあえず、どうやって安全に操業するかという純粋にテクニカルな議論に集中すべきなのに、そういう提案をした瞬間に『お前は原発推進派なんだな』って批判される」
と内田氏は嘆く。

こういうデッドロックって政治の世界にもあると思う。

先日の党首討論。
自民党の谷垣総裁から
「税制改革だけ先行して提出するのでは、一体改革の名に値しない」
と批判された野田首相が
「大綱にも『順次実施する』と書いてある。一体改革だ」
と強弁して失笑された。

こうした詭弁を聴かされるにつけ、有権者は政治不信を募らせる。
野党は揚げ足を取ることに一生懸命で、政府は「誤りを認めてはならない」と頑なになる。
建前の応酬ばかりで、本音のぶつかり合いがない。
それが政治のデッドロックを生んでいる気がしてならない。

橋下政治がスピード感をもつのは、この類いのデッドロックがないからだ。
本音トーク、全開。
有権者が「そうそう」と思えることを、ずばり突く。
少々口が悪くても信用されるのは、うそをつかないと思われているからだろう。
「僕は不適切な発言ばかりやってる」と言い放って平気な顔。
良くも悪くも開き直りがうまい。

小泉首相もそんな感じだった。
「この程度の約束を守らないことは、たいしたことではない」
と公約違反を認めて予算委員会が騒然となったことがあったけれど、
「そうだそうだ」と思った有権者も多かったに違いない。

こういう乱暴な言動に、批判は多い。
でも、動かない政治よりはマシ、と思えてしまう。

2012年3月1日木曜日

あの人が新聞社の社長になったら

通勤電車の中で、ふと考えた。

もし、新聞の読者が投票権をもち、その新聞社の社長を選ぶことができるようになったら。

たとえば「新聞ななめよみ」の池上彰さんのような人が「新聞を変えましょう!」と立候補したら、人気を集めるだろうなあ。

橋下徹みたいな人が当選したら、どうなるだろう。

「新聞社は赤字なのに、社員の給料は一般の民間企業と比べてずいぶん高い」とかいって、給与カットから手をつけるんだろうな。4割カットとか言いだしたりして、記者たちはびっくり。

「社員基本規則」みたいなものをつくり、デスクの業務命令に3回続けて従わない記者を懲戒免職にする制度、をつくるかもしれない。記者が「事件の続報なんて、無理して書く必要があるんですか」とかいったら、「嫌ならやめてもらって結構です」とか言われたりして。

「文化部は赤字だから廃止」といった組織の統廃合や、「政治部や社会部は不偏不党になってない」とかいって、アンケート調査やメール調査を始める可能性もある。

本社の部長や地方の支局長の公募はどうだろう。
右翼や左翼の活動家も手を挙げてくるかもしれない。「新聞を、変えます!」と威勢のいい所信表明をしながら。

そのうち、記事にも注文をつけるようになって、「この記事は読者の理解を得られない。差し替えてください」といった社長命令を出すようになるかもしれない。
記者が「どうしてですか、これは大事な記事ですよ。何度も1面に載ったし」と抵抗しても
「これが読者の民意です」
「嫌なら、あなたが立候補して社長になってください」
と言われておわり。

こうした「改革」のひとつひとつを、毎日のように報道各社の取材に応じる形で公開していく。
そのたびにテレビや他の新聞が大きく報じる。
「橋下改革に戸惑う社員」とかいう見出しで。
テレビの街頭インタビューで
「我々の思っている読者の民意とは違う」
とか答える記者がいたら、反省文を書かせる。処分もあるかも。



でも、新聞記者の高給に批判の矛先が向けば、読者はこうした改革に賛成するような気がする。
「橋下さんは、はっきりものを言うからわかりやすい」とか言いながら。
記者たちが反対しても、「既得権益を離したくないから反対してる」と批判されるだけ。
「庶民の味方みたいな顔をしながら、自分たちはいい暮らししてたんやな」と反発を招く。

一部の有識者は反対の論陣を張るかもしれない。「文化面を守れ」とか「利益誘導と脅しでは記者は育たない」とかいって。

でも、「自称インテリがふざけたことを言ってるけど、現場をまったく知らない机上の空論だ。このままでは新聞社は倒産する」とツイッターでつぶやいて、おわり。