2012年2月18日土曜日

政治の可視化と橋下徹

テレビニュースや新聞記事を読むと、「橋下徹市長は○○日、△△することを決めた」という書き出しが目立つ。これまでは「大阪市は○○日、・・・」というのが一般的だった。


「誰が」というのはニュースで重要な情報だ。なぜ「大阪市」が「橋下徹市長」になったのか。
それは、意思決定した人間が誰か、はっきりしているからだ。


大阪市に限らず、自治体の首長は最終決定権を持っている。だからこそ、選挙で選ばれる。
でも、これまではそこがあいまい報じられてきた。あたかも組織としての「大阪市」が決めたように伝えられてきた。そんははずはないのに。


国政も同じだ。「政府は」とか「厚生労働省は」というように組織の名前で語られてきた。それが慣習だった。NHKはもっとひどい。「厚生労働省が○○することに、なりました」という。「なりました」というのは、「自然にそうなりました」という表現だ。誰も責任を負わない。さすが国営。


ただ、これまでは「報じていなかった」だけで、従来から首長は最終決定をしてきた。橋下市長の前の平松市長もそうだ。さまざまな政治的な思惑を持ちながら、首長として意思決定をしてきた。
見えないところでやっていたことが、見えるようになっただけのことである。


橋下市長はなにかと交渉事を公開する。それが自分にとって議論を有利に進める方法だと考えているからだ。


すべての交渉事がテレビカメラの前で行われることがいいのかどうかは、わからない。橋下市長だって、非公開の交渉や密室談合はいくらでもある。


ただ、教育委員会だったり、労働組合だったり、いろんな人たちと交渉をしながら行政の方向性を決めていく。その当たり前のことを、有権者にわかりやすく示したことはいいことだ。だからこそ、政策の善し悪しや、決め方の善し悪しを論じることができる。

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